昔は一冊の本をじっくり読んでいた。大作過ぎて途中でくじけそうになっても時間を置くことになっても他の作品と並行して読むことはなかった。途中で読むのを止めてしまったこともあったが、大抵はその後読むことはなかった。でもここ最近の数年は職場の先輩にマンガを貸してもらうようになってから色々な本を同期間に読むようになった。利点は気分を変えることで、ずっと本を読んでいられることだ。思い入れが強くなると読み進めるのが辛くなることもあるから自分にはこの読み方が合っているのかもしれない。今三冊を同時期に読むようになっている。
ここからは「夢をかなえるゾウ2」のネタバレがあるので了承の上ご覧いただきたいと思う。
有名人
この本には神様が出てくる。ガネーシャ、釈迦、死神、貧乏神だ。”1”に続き奔放なガネーシャはともかく釈迦がポップで煩悩に一見まみれた行動が表現されている。貧乏神に至っては”死ぬ”ってある?百歩譲って”弱る”んじゃないの?自分に合わない環境になったら他に対象者を見つけて移り住むんじゃない?と突っ込んでいた(笑)
でもそんな人間らしい神様たちの言葉に宝物をいくつか見つけた。
他人に対する言葉や対応は自分に対する言葉や行動
この幸子さんの言葉が身に染みた。自分が放った言葉がもろに自分に跳ね返ってきた経験がある。
以前ブログでも少し触れたことがある。小学生の頃の体験。小学一年生の時から付きまとってくる男の子がいた。自身の転校決まった時ホッとしたけれど程なくして偶然だと思うが同じ小学校に転校してきた。休み時間廊下を歩いている後をついてくることが多かった。それが嫌で嫌でたまらなかった。
小学校中二階でのこと。二年生か三年生だったと思う。休み時間、いつものように友だちと一緒に後ろを付いてきた。ヒューヒュー、ニヤニヤ。それまでの数年間ほぼ毎日続いていたイライラが溢れ壁が崩壊するプチっという音が聞こえたか聞こえなかったか。”お前なんか大嫌いだ、ついて来ないで”と勢いよく言ってしまった。その日の下校時、二人後ろを付いてきた。公園に入った時襲ってきた。殴られ、蹴られた。二人で襲うなんて卑怯だと思った。でも自分が発した言葉がそれを促してしまったと思ったからなのか涙は出なかった。
出来たら善い行いをして戻ってきて欲しいと思う。気を付けている。
いい人になろうとしていませんか
またもや貧乏神幸子さんのこの言葉。
<他人から良く思われたくて自分の欲求を抑えてしまう。そういう人が何かを手に入れることはありません。自分の欲求を抑えることでやる気を失ってしまうからです。他人に与えることは大事です。只与え続けるだけの人は貧乏神に好かれてしまいます。与えるだけではなく受け取らなければお金持ちになれません(心が豊かになれませんとも感じた)。望んでいることを口に出して。P248>
死神とコンビを組んだ後輩を救うため自分の夢を断念することを選んだ主人公への助言。優勝できなかったら死んでしまう後輩の運命を知った主人公は同じく目指したお笑いの最高峰ゴッドオブコントへの参戦を途中棄権してサポートに回る。借金を抱えていた主人公に貧乏神幸子さんは優勝したら賞金を回して欲しいと後輩にお願いした方がいいと忠告をする。躊躇する主人公に 互いの欲求をぶつけ合いながら互いの喜べる道を見つけていくこと、それが成功するための秘訣だと諭す幸子さん。
この言葉たちは自身の胸にグサッグサッと刺さってきた。本当は欲しい”つながり”を譲ってしまいがちだったから。
子どもの同級生のいじめ問題で走り回った経験がある。自分の子どもは全く関係なかった。でも聞いた以上黙っていられなくなり奔走。その後その人と交流したかったが、自身が紹介したお母さんがその人と偶然同じマンションで気が合ったらしく仲良くなっていった。必然子ども同士も仲が良くなり、親子ともども置いてきぼり状態になった。仲良くするために奔走したわけじゃないけれど只々寂しさを感じた。その後の子どもたちの仲間意識にも直接反映してしまった。そこも寂しさを倍増させた一因だったように思う。そういう役割だったと思うようにしていた気がする。
前の回で息子と彼女の恋人同士の旅行だと思っていたのに彼女の家族が旅行先までついてきたという話をした。暫くたった今もその感覚は理解できない。性に合わないということが周囲に駄々洩れている。その分後で跳ね返ってくると思うが自分にも嘘を付けない。普段ここまで表現せず我慢することに慣れているはずなのに。2,3年我慢してきたがこれ以上我慢が出来なかった。ただ、彼の人生なのでそのスタンスだけは保とうと思って過ごしている。幸せに感じるのならばそれはそれでいい。でも負のエネルギーが返ってきても今回表現出来て良かったと思う。いい人にならなくていいのだ。
幼い時弟たちとの不平等さを主張しても却下され口答えしたと叩かれ、暗い室や車庫に閉じ込められた。主張することを諦めてしまうことが癖になって大きくなった。その内分かってくれると思いながらぶつかることなく流す癖が出来てしまっている。職場にしてももっと早く主張すればよかったとも思うことが多い。8年過ぎてやっと自分の居場所みたいなものを見つけられているがそんな時間本当はかけなくてよかったのだ。これからは自分を大切に扱うことを一番に考えてあげたい。ぶつかることを恐れていては時間だけが過ぎてしまう。
”いい人にならない”ということを心に止めて生活しようと思う。本当の関係を結ぶために。
白い百均のヘアピン
終盤になんと貧乏神幸子さんは死にかけるのだが(笑)、横たわっている幸子さんの髪に以前主人公が一緒に行った百均でひそかに買った白いヘアピンを付けるシーンがある。
その時主人公は幸子さんを見てドキッとする。綺麗だと感じた。ドキッとしたのは自分。綺麗だと感じたのも自分。プレゼントをされた幸子さんじゃない。相手へのプレゼントが自分へのプレゼントになっている。
感動した。どんなにつらい状況でも人を思う気持ちで幸せになることが出来るということ。人を思ってするプレゼントが自分へのプレゼントでもあること。
子どもを授かったこと、ちょっとずつの不満、心配はあるものの健康に育って巣立ったこと、ご飯が食べられること、経過観察中と言えど健康であることが何よりの幸運だ。自分の笑顔が人の心を柔らかくするかもしれないこと。
喜怒哀楽を自由に表現できる環境があと少しで来ることを確信している。
ガネーシャがキーマンになっているが今回は自分にとっては貧乏神金無幸子さんがキーマンになった。読む人によってはガネーシャ、釈迦の放った言葉が心を揺さぶるかもしれない。