職場の先輩から借りている漫画を読んで何度も心を揺り動かされている。感謝。母は漫画なんてという堅物だからその影響を多少受けて喫茶店やどこかの待合室などに置かれている漫画には手を出すことが少ない(サウナや温泉がある複合施設では読む)。そういう自分が小さいなぁと思う。

時空を超える恋愛モノ、食をメインに描いたもの、妖怪、BLなど様々この数年間先輩にお世話になっているが、「再生のウズメ」は今回初めて感想を書きたくなった作品だ。以下ネタバレあり。

自己啓発本?

主人公が少し今の自分に重なっているように思えてきたことが感想を書きたくなった理由かもしれない。

引きこもりではないけれど、過去数年間やるやると言って挑戦していないことがある。最近やっと道具を揃え始めたけれどまだ積極的に行動に出ることを躊躇している。”明日する”が口癖になっているシーンにぐっときた。

人と顔を合わせたくないから洗濯物を干す場面でのフードを被りサングラスとマスクをつけた姿は完全に自分と重ね合わせた。ウズメは人と顔を合わせたくないから、自身は日焼けしたくないから。理由は違うけれどその姿に親近感が湧いた。

向き合う力

変わらない生活に飽き飽きしながらも安堵感をもつ。”明日する”が挨拶代わりになり、それが両親の気力もそぎ落とし時だけが過ぎていく。焦りがどんどんと増してくるけれどそれを誤魔化し生活する。その感覚が分かる。

物語ではそんな日常に変化が起こる。小学生時代淡い恋心を抱いていた同級生が家族を作り向かいに越してきた。それをきっかけに母親が立ち上がる。”振り出し”に戻る癖がついている父親の手を払いのけ突き進む。カッコよかった。深い愛情がないと出来ない行動だ。

ウズメも頭の中では申し訳ないと思っている。でもどうしても両親への甘えた言動が止まらない。母親と娘のぶつかり合いがあってこそ進化できる。現実世界もそうだ。

実は昨日息子と息子の彼女の非礼に我慢できない旨を伝え揉めた。今息子が心を閉ざしている。その人生に責任を負えないから彼の選択を尊重するけれど、これ以上非礼を続けることは我慢できないと伝えた。どう変わっていくかは分からない。これからは子どもたちの人生に関わるより自分の人生をどう楽しんでいくかを考えていこうと思う。それ位のスタンスの方がうまく運ぶだろうとも思う。

学校行事で立った舞台で褒められたウズメはそれがきっかけで役者を目指すことになった。それは誰にとっても大切な経験だ。

褒められることが人の成長を促すことには実感がある。だから人を褒める時本心ではなくとも相手の成長を望むとき何とか言葉にしようとも思う。心からではない分自分にとってはハードルがやや高い。嘘をつくようで気が引ける。でもたとえ嘘かもしれないと思っていてもやはり褒められると嬉しく思う経験からなんとかそのハードルをもっと下げる方法を見つけ出したい。

前向きなウズメは20代後半人間関係で大きなダメージを負う。それを救い出そうとしたのが母親だ。でも結局それが引きこもりのきっかけになる。生活を支えるより心のケアが非常に大切なのだと思う。

40歳になった彼女に将来を悲観した母親が立ち上がる。声を掛けた”便利屋救ちゃん”の興梠との出会いが彼女を立ち直させていく。

”便利屋救ちゃん”で臨時アルバイトとして働くことになったウズメは俳優養成所での経験が活かされることになる。そして色々な立場の人と出会い揉まれながら自分を出していく様は心地好かった。

母親が毎日書いていた日記を読み返しているシーンが最後に出てくる。愛情の極みだ。ここで心を掴まれた。