書店のレジ近くに陳列されていた「運転者」に目が吸い込まれた。横にはコメントが付いていて詳しく覚えてはいないが確か自分を見つめられる本とかなんとか書いてあった。

他にも惹かれるものはあったが頭に残像が残っていた為値段を確認したら税抜きで1500円位だった。買うには高いし、本に思い入れがあれば保存するがその可能性は薄い。メルカリで買うことも検討したがその前に普段は利用しない市立図書館ネットで検索して決めようと思った。検索すると予約者が17人ほどいてすぐに手に出来ないことが分かったが迷わず予約した。以下ネタバレ注意

言葉遣い

”料金メーターではないメーターがある”タクシーの運転手は乗車した人のプライベートを把握してる。”ファンタジーあるある”のその設定を素直に受け入れた。だからかその運転手よりも強く印象に残ったのは、物語の軸である修一の言葉遣いだ。

運転手を”お前”とか”あんた”と呼び、舌打ちしたりする。運を転ずる地点に運転手が修一を連れて行っても欲動しい修一はさっぱり運の転機を感じることなく終わった。その後待っていたかのように停車しているタクシーに再び乗り込んだ時”良い展開が訪れたでしょ”との運転手の言葉に対し期待外れの結果でイライラしていた修一は”どの口がそんなこと言えるんだ”と自分の依存を反省することなく苛立ちを運転手にぶつけた。それが不快だった。

上機嫌でいることが運を引き寄せる重要ポイントと人知を超えた存在である運転手から教えられる。その時の修一は保険の解約による社内規定に基づいた”負債”を抱えることが決まっていた。そのような状況では誰しも上機嫌でいることは不可能に近い。上機嫌でいたいけれど出来ないという修一の心情は察することはできるが、タクシー運転手に対して上からものを言う姿勢には品の無さを感じずにいられなかった。

説教がましい運転手にもイラっとするのは理解できるが(^_^;)

祖父

誰かの幸せのために自分の時間を使う。そのときしてあげたことと、してもらったことの差が<運>であり、タクシー料金の支払いのメーターに記されていたのは実は<運>の数値(ポイント)を示すのだと修一はタクシー運転手から説明を受ける。

これを読んだ時”徳”のことではないかと思った。積んだ徳は必ず自分に返ってくるものではないと日頃から思っていたことだったからだ。

何時頃からそう思っていたかこれまでのことを遡ってみた。

同居していた祖父の影響だったのだと思う。お返しをしたいと何かのことで(思い出せないが💦)祖父に申し出た時笑いながら”自分にではない誰かにお返しをしなさい”と言われたことを薄っすら思い出した。どうして受け取って貰えないのだろうと思ったが幼いながら心が温まった。祖父が大好きだった。

数年前、お返しをしたいと言われたことがある。その人は周りからの中傷に疲れ果てていた様子だった。俯瞰すると、その人を攻撃している人は強すぎる自己顕示欲を満たそうとしているように見えた。また日頃の鬱憤を晴らそうとしてるともとれたからそれを伝え、気にも留めてないように振舞えばいづれ収まると助言した。その後それは徐々に収まっていったようだった。何度かそのお返ししたいと言われたが祖父の言葉を真似して伝えた。誰か困っている人がいたら無理しない程度に声を掛けて欲しいと。

めぐり巡ると言うという点でもう一つ思い出したことがある。

子どもが幼稚園に通っていた頃ある日を境に周りがよそよそしくなったことがあった。幼稚園バス待ちで世間話に入れなかったり、公園で会っても挨拶無かったり。理由も分からず心が沈んでいった。一か月経った頃だろうか(すごく長く感じた)幼稚園バス停で先輩ママが”様子がおかしいけど何かあった?”と声を掛けてきた。涙がこぼれた。今ある現状を伝え理由が分からないと告げると、裏で自身と同じ集合住宅の幼稚園バス待ちのママが自身の悪口を周りに触れ回っていると教えてくれた。自身は声を掛けてくれただけで本当に救われた。だから真意を直接本人には問いただすことはしなかった。その内事実が皆に知れ渡るだろうと思った。一人でも自分を信じてくれる人がいるというだけで強くなれるものだ。その後彼女は他にも色んなシーンで迷惑を掛けていることが発覚し逆に周りから相手にされなくなっていった(あやふやな情報だけで人を中傷したり、貶める行為は直接自分に返ってくるという点では善行とは違うのかもしれない)。

過去救われたこの経験を直接その時は意識はしていなかったが上記の”疲れ果てていた人”を助けたくなった一つの要因になったと後付けだが思う。

おこがましいが、人を救ったと思えたことがご褒美なのかもしれない。だからお返しは必要ないのだ。

祖父に教えられたことが”本物”だと思えた。この本はそれを念押しをしたのかもしれない。

欲望肯定派

誰かが貯めた運を上機嫌であることで受け取ることができるとこの本では伝えている。そうあった方が欲にかられることなく過ごせる。結果上手く回るということも実は体験している。

過去の恋愛経験で自身は好きな人に振り向かれたことはない。好きだと表現するとたじろがれるという経験がほとんどだった(^_^;)でも友だち感覚で話をする異性には非常にモテた。上手くいかないと頭で分かっていても欲を出すなという方が難しい。不自然だ。

上記は一例だ。人間も動物であるから欲は生きていく上で自然なことだ。

出来るだけ自然に抗うことなく、でも上機嫌でいる為には自分の欲を認めながら感謝を忘れずにいることだと思えて来た。

ポイントを貯めるために声掛けをするんじゃない(ポイントという言葉はどうしても損得が頭に浮かんでしまうから違和感がある)。困っている人をそのままに出来ないから声を掛けるのだ。

ポイントを使いたければ自分の為に使いたいと望めばいいのだ。自分の為に使うと運がめぐってこないともとれる文章だと思えてしまった。ひねくれているのかもしれない。

重要なのは”感謝”だ。

あちこち

修一は父や祖父のことをタクシー運転手に教えてもらうことになる。若くして戦死せざるを得なかった祖父久蔵の想いを同じタクシーに乗った父政史が運転手から聞き自殺を思いとどまり、久蔵の願いを”叶える”べく蕎麦を打ち始めたことを修一は教えてもらう。それがきっかけで自分も蕎麦を打ち、いづれは店を出したいと願うようになった。

保険会社に辞表を出そうと社長と話をすると、修一が新幹線の中で出会った青年から講師をお願いしたいと依頼があった旨を告げられる。辞めようと思っていたから戸惑うがこれは他の誰でもない修一に依頼があったのだから受けるしかないだろうと諭される。自然体の自分を表現し始めた途端運は好転し始めた。

脇坂社長も人知を超えたタクシーに遭遇したことがこののち示唆される。その時の自身の感情はこんな狭い世界で人知を超えた存在に遭遇する設定ってチープじゃね?と思ってしまった。

しかし暫くして心にしみてきた。周りには好転する運がそこここに溢れているという意味じゃないかと思えて来た。