二日前伯父の葬式に出席した。本人はその一週間前に亡くなったのだが、葬儀場、火葬場どちらかもしくは両方の日程が詰まっていた為すぐに執り行うことが出来なかったとのことだった。

日頃からお付き合いがあった人ではなかったが、大学に入って右も左も分からなく心細かった時に大変お世話になった人だ。恩義がある。日帰りは出来なくはないがそれだとせわしなく疲れてしまう位離れている為少し迷ったが、息子の迷うなら行った方が良いとの言葉に背中を押された。

家族葬

大企業のアメリカ支社長を務めた伯父だが一切会社関係者は呼ばれていなかった。あまりに簡素だったから驚いた。聞くと、会社には一切知らせていなく事後報告をするとのことだった。喪主、子どもとその配偶者、孫たち、そして故人の妹である母とその息子(長男)、娘(自身)だけだった。

気が強く、快活で陽気な伯母(喪主)が以前とは見る影もなかった。最初誰だか分からなかった。顔は黒ずみ、目が激しく落ちくぼんでいた。足腰が悪いと聞いていたが杖を突くほどとは思わなかった。色々な病気にかかっていることもあるとは思うけれど(自分を病気のデパートと表現している)、伯父の闘病生活がどんなに過酷だったかが簡単に想像できた。

父の家族葬を想像していたのか母は今回人がいないことに寂しさを感じていたようだった。でも自身は気持ちが良かった。集まった人たちの故人を想うその純粋さを感じ取ることが出来た。いとこのパートナーも目にハンカチを押し当てていた。自身もそれまで意識していなかった感情が溢れだした。驚いた。お焼香を済ませ伯父の顔を見て自分の席に戻った時涙が出てきた。

いとこ

伯父の長男とはU2やローリングストーンズのコンサートに一緒に行った。彼にはツテがあってとても良い席で観れた。U2は裸眼で観れた。楽しかった。とても感謝している。

彼の妹は年が離れていて当時はまだ小学生だった。だから一緒に遊んだ覚えはない。けれどとても素直で柔らかな笑顔の可愛い女の子だった。夏休みに数日泊まりに行かせてもらったときは一緒にゲームをした。

今回二人と再会してそれまでの人生の歩み方の違いを感じた。彼は二つ位年下なはずだが自身より年上に見えた。皺が顔中にありそれが深かった。介護疲れもあるのだろうけれどそれにしても老けていた。彼の口癖を思い出した。もう疲れちゃったよ。嫌だよ。

8歳年下の彼女は相変わらず可愛いかった。40代後半の女性への形容詞としては不適切なのかもしれないけれどそれ以外思いつかない。素直で純粋、悪意なぞ無縁の人。柔らかい雰囲気で周囲を包む。羨ましい。そんな中一つ気になった。白内障を患っているようだった。目が白濁していた。本人が一番気になっているだろう。

自分を含め年の積み重ねを感じた。

挨拶

最後に喪主の挨拶があった。マイクへつぶやく声に耳をそばだてた。

過去、アメリカで腎臓を壊し倒れた時に、会社には報告するな、何とか病院連れて行って欲しいと頼まれたことを話してくれた。アメリカが好きだった伯父は何としても日本に強制送還?されたくなくてお願いしたらしい(体調を崩すと日本に戻されるらしい)。自分一人でそれこそ右も左も分からない、友だちもいない、ましてや母国語ではない土地で手続きしなければならなかった苦労を話してくれた。

”いい男でした”とその最後をくくった。ドキッとした。なまめかしさを感じた。品がないとも正直感じた。息子や娘の前だっただけに何とも言えない感情が湧いてきた。

式が終わり、じわじわと心にしみこんできた。

下血を繰り返しそれでもお酒を止められず病室で暴れまわっていた伯父。自宅に戻った時には庭の段差に転倒し、顔面を強打し出血した伯父。周りをハラハラさせる天才だった。そんな伯父を世話の焼ける子どもとしてではなく、連れ合いだから仕方なしとしてでもなく、男として意識をしていた伯母。初めは戸惑ったけれど、素敵だと思った。