昨日ダウンタウンの番組の一部を観た。タイトルは分からない。昭和生まれと生まれが1990年代半ばからの20代から30代前半位の若者をパネラーに昭和を感じる番組だ。

ハエ取りリボン

うちは台所の天井から三か所垂れ下がっていた。ハエ取りリボンというのだそうだ。中学2年生までそんな台所で生活した。一つは照明の近く、一つはキッチンシンク前の立ち位置より少し後ろに。もう一つは何故か冷蔵庫と食器棚の間位に。天井が低かったのか自身はよく冷蔵庫近くのハエ取りリボンに引っかかった。髪の毛がべっとり絡まりハエのように身動きが止まる。母をよく呼んだ。自分で何とか出来たであろうけれど(笑)懐かしい思い出だ。

粉末

TVでは牛乳に入れてコーヒー牛乳を作る粉末が紹介されていた。時々給食に出たがその時にはとても喜んだのを覚えている。

バスを使って学校行事が行われるときは必ずおやつを持って行った。300円内とか制限があった。バナナはそれに入るのか議論になったこともある(笑)何を選ぶのかそれほど重要案件だった。

家から15分位歩いたところに駄菓子屋さんがあった。決まってそこへ行っていた。制限があったからスーパーは高級店だった。ラムネ買うのも躊躇するくらい安価な商品が豊富だった。

はっきり名称は覚えていない。ネットで調べた“シャンペンソーダ”、“アメリカンコーラ”が多分自身が一番よく選んだ商品だと思う。粉末のジュースの素が大好きだった。封を切ってそのまま舌にのせてシュワシュワするのを楽しんだ。今は成分に問題があって残念ながら売っていないらしい。

ペーパーボックス

この名称をTV番組見るまで知らなかった。それにはペーパーボックスには筆箱と小さなノート、当時はやったシールやお気に入りのキャラクターが入ったメモ帳などを入れていた。二つほどあったような気がするが、よく覚えてるのはデニム生地のものだ。大切に抱えていたのを覚えている。

あったあったぁ!と昨日は連発していた。

筆入れ

小学生の時は両面筆入れを使っていた。色々買い換えたけれど覚えているのはキキララとどんな外観だったか覚えていないけれど鉛筆削り器が付いたもの。小学校高学年になると缶のペンケースに変化した。”ZIGGY”というキャラクターが描かれた缶ペンケースを長く使っていた(ふっと頭に映像が浮かんでキャラクター何だったかなぁと思い出そうと頭を集中した後30秒経たずにZIGGY”と思い出せた自分が嬉しかった)。

”象が踏んでも壊れない”のCMで注目されたアーム筆入れは残念ながら買って貰えなかった。必要ない、あるでしょと。本当に試して見たかった。

遊具

大好きだった。休み時間は必ず運動場に出て遊んでいた。

回旋塔、空中シーソーは順番待ちだった。頭がふらふらするのが好きだった。今から思えばやはり少し危険だったのかもしれない。でも誰かが怪我したという話は聞いていない。

箱型ブランコは小学校にはなかった。通学路にある公園にあった。それを死ぬほど(笑)友だちと漕いで浮遊感を味わった。楽しかった。

今、昭和の遊具は危険がいっぱいだということで撤去されることが多いそうだ。

子どもたちが小学生の頃名古屋にいたけれど、今から思えばその時の小学校は攻めて?いた。大人の背丈の倍近くある高さに“リングトンネル”が設置された遊具があった。しかもそのリングの間からは真下が見える。足を滑らせ前進するような鉄板の足場?が設置されていない。運動能力が高い子がいっぱいいたと認識できたのは転校してから。その学校が特別高かったのだと思った過去がある。

マディソンバッグ

中学に入学するにあたって”普通サイズ”の学生かばんを用意してもらった。ワクワクドキドキの始まり。新調してもらうと嬉しい。

一年生になって暫くするとなにやら学生かばんを持ち歩いている人が少なくなってきた。ぺらっぺらに薄く改造した学生かばんを持ってくる人はいても(^_^;)代わりに”MADISON SQUARE GARDEN”と書かれたかばんを持ち歩く人が増えた。自身も財布のひもが固い母を何とか説得してゲットした。嬉しかった。

最近昭和の話に職場でなりマディソンバッグの話をしたら何のこと?と変な顔をされた。一地方で流行ったことなのかと愕然としたが、昨日TVで流れていたからホッとした。嬉しかった。

子ども時代

昨日は本当に心から笑った。ワクワクした。子ども時代を振り返って幸せを感じた。