夢がかなうゾウ4について書きたくなった。このシリーズをずっと読み続けている。一巻は意識を変えることが現実を変えていく様に感銘を受け、二巻は貧乏神に魅かれる主人公に感動し涙した。三巻は実は余りピンとこなかった(既視感があったからかもしれない)。四巻は心に訴えてくるものが一番強かったように思う。死へ向かうための準備や心を安らげるための方法を学んだ。
課題
随分前に購入した夢をかなえるゾウ4を帰省前(2月中旬帰省した)に再び読み始めて本当良かった。以前と違う行動が出来たのが嬉しかった。
実家に帰って二日経った頃だと思う。ダイニングで母とくつろいだ後スッとキッチンへ行った彼女のすぐ後を夕飯作り始めると思い追って行った。キッチンの隅で母は”ホントいやだ”と吐き捨てた。自身の姿を目にするとばつが悪そうに”聞かれた”とも。そして水虫のことだと取り繕っていた(長年患っている)。足をむずがゆく搔いているわけでも足をスリッパに擦り付けてるわけでもない。自身への言葉と理解した。
母のこういう行為は年々あからさまになってきている。すぐ下の弟との毎日の電話で自身の悪口を言い合っているのも彼の言葉から想像に難いと感じていた直後のことだった。
今回キッチンの隅で”ホントいやだ”と言われた後、寝泊まりしてる部屋に行ってノートに気持ちを殴り書きして少し心が安らいだのかすぐこの箇条を思い出し気持ちを切り替えることが出来た。後悔程嫌なものはない。そう思うと自然優しくなれた。その日の夕食は何事もなかったかのように笑顔を絶やさず食事が出来た。
死神の言葉がドロドロした欲望の渦から助けてくれた。
主役のガネーシャの言葉よりも死神の言葉の方がぐっときたのは性格的なものが起因しているのかもしれない。逆説的な表現じゃないと刺さらないみたいだ。正論を無視したくなる(笑)
以下死神の言葉を上げる。
死ぬ前に後悔すること10箇条
本当にやりたいことをやらなかったこと
健康を大切にしなかったこと
仕事ばかりしていたこと
会いたい人に会いにいけなかったこと
学ぶべきことを学ばなかったこと
人を許さなかったこと
人の意見に耳を貸さなかったこと
人に感謝の言葉を伝えられなかったこと
死の準備をしておかなかったこと
生きた証を残さなかったこと
以上
何度読み返しても胸が痛む。出来ないでいた事ばかりだ。実にタイムリーだ。
今年85歳になる母。あと10年健康で生きられるかどうか分からない。今自分の意識を変えないと自身が死ぬ前後悔する。
滞在の中盤で湖畔のホテルに母、末っ子の弟、叔母、娘の計5人で宿泊した(母の発案)時一緒にお風呂に入った(弟は男風呂)。母に背中を洗って欲しいと言うと戸惑っていた。お返しに背中流そうかというと拒否られた。本当に嫌われてるんだなと思ったけれど、そんなこと構わなかった。自分が後悔しないためにするのだから、相手の反応は関係ない。前まで同じものを返して欲しいと思っていたから疲れたのだ。気持ちが良かった。心が軽くなっている。
”後悔しないために許す”というのは真の意味では”正しい”動機ではないかもしれないけれど、自分の心が軽くなればきっと周りも変わってきて好循環が生まれると信じる。過去の他の人間関係にもこのことを取り入れ切り替えようと思う。
浄化
この本をきっかけに以下のことも浄化したいと欲張った(笑)受け取りづらいとは思うけれどよかったら目を通して欲しい。
以下が浄化したい内容だ。
①切迫流産の危険性があった時女側の家がケアする立場ではないと断られた。周りに友人一人もいない新しい環境だった。結局流産した。力になって欲しかった。ただ祖父母の目を気にして生活していた母の気持ちを思えば理解できた。
②30代前半子どもを授かるまでは理想の母親だった。公平で我慢強く明るく感じていた。尊敬していた。初めておかしいと感じたのは子どもに母乳を与えていた時だ。無理して母乳にすることないと強く言い始めた。ホルモンバランスが悪い状況で母親として努力し始めた時だ。指導者に言われるなら納得したけれど強く母が主張してきたのが悲しかった。母と子の間に強く入ってきた感覚が不快だった。我が子が孫の為に努力する姿を可哀そうだと思って見ていられなかったのかなとその時はそう思うことにした。
③実家がものが多く断捨離をしていた時辞典と辞典の間に挟まっていた封筒を見つけ箪笥の上に置いた。それを伝えるのを忘れてしまいそのまま帰宅しようとした時ぐっと腕を母に掴まれた。”お金持って行ってない?”とすごまれた。全く身に覚えがない上に盗んだと疑われていることが分かったから非常に不快だった。思いがけない言葉だったから認知症を疑った。そうであった方が気持ちが楽だった。でも今現在も頭はしっかりしているからその時のやり取りは彼女の自身に対する不信感と彼女の性格の悪さが露呈して非常に残念に思った。理想の母親像がガラガラと崩れ落ちた。
④父が首の手術をして入院した時のことだ。一時間半ほどの距離を母を連れて往復したことがある。父は自身の身体を心配して血圧を半ば強引に計らせた。その時の体調はあまり良くなかったからか血圧は高かった。動悸もした。父はその数値を見て凄く心配し少し休んで帰りなさいと言った。それを聞いた母は父の病室から出て”どうして今計らせるのかしら”と自身にこそっと言った。自分の耳を切り落としたくなった。今までのことがあったとしても自分の都合より子どもの体調を心配するのが母親だと思っていたから何かの間違いだと思い込もうとした。でも無理だった。数日後実家から自宅に帰って堪え切れなくなり娘に話し嗚咽しながら泣いた。
⑤父の葬儀の数週間前に亡くなった近所に住む遠い親戚と義妹(末の弟の妻)の父親の葬儀が重なったことがある。前者に夢中だった母はすぐ下の弟と自身に後者を伝え忘れていた。空港に迎えに来てもらった末の弟の車の中でそれを知った自身はお花の手配を決めて弟に伝えた。それを聞いた母は”あ、伝えちゃったんだ”とボソッと漏らし、その足ですぐ下の弟にその案を自分の提案にして伝えた(すぐ下の弟は母のお気に入り)。性格の悪さをそこに感じた。少女漫画が教科書なのかぁいと突っ込みたくなる位はっきりマウントを取ってくる。大したことないことなのに今までの経緯があるからか心の中にどろどろとした気持ちがどうしても生まれてしまう。こういう些細なことがずっと続いている。感情を抑えられないことが老化だと理解していても剝き出しになる内容は彼女の真意だからこそ深く傷つく。
⑥父の葬儀の時彼女は自身をほぼほぼ無視した。長男、次男しか目に入らないようだった。身の置き場がなかった。それは周りからも恥ずかしいほどハッキリ写ったようだった。父の妹が自身を哀れみ励ます言葉が身に染みた。
こう書きだしてみると腹に溜まってる事が多い(^_^;)でも何度かブログで表現するお陰なのか以前よりはドロドロ感は薄くなった。本とブログの力を借りて更に薄くできそうだ。感謝。
変化
眠れるようになった。睡眠は健康に直結しているから上記の死神の教えも守れていると思える(笑)嬉しい。若い時と比べたら睡眠は充分とは言えないけれど、夜中トイレに起きても以前よりも早く睡眠に入れる。たまたまなのかもしれない。でも心が前向きになっていると感じる。
喜怒哀楽
ガネーシャの最後の課題に衝撃を受けた。”喜怒哀楽を出す”
ここ数年の自分の課題だったからだ。
以前は比較的出来ていた喜怒哀楽。そんな自分が好きだった。でも人間関係で傷ついたことがきっかけで自分を抑える日々が何年も続いてしまった。停滞や障害を感じる時学びという言葉でそれが起こった意味を見出し痛みを和らげようとする。確かにそこに本当に学びはあるのだろうが無理する必要もないと自分の体験を通じて感じた。健康を損ねる可能性が大いにある。
ブログを通して自分の心を整え、実生活で出来るだけ心のままに表現できるようにしていきたい。同じ様な体験をしている人と繋がりたいとも思う。
この本に出合えて感謝した。ブログを開設するきっかけを作ってくれた人にも。
