映画になっているとは知らなかった。TV観ないし(観たい番組は録画してるからCMは観ない)ネット検索しない、最近映画料金が値上がりして足が遠のいているからだと思う。
メジャーな俳優たちが出演しているのに驚いた。松坂桃李氏と子役の女の子はイメージ通りだった。先入観なく先に本を読んでいて良かったとホッとした。映画の存在は、ネットで主人公の一人が抱える”悩み”を検索していて分かったことだ。詳しくは知らないが書き込みで映画の最後のシーンはエグいとあった。本の内容と全く違うから心から最初の出合いが本であって良かったと思っている。以下ネタバレ注意。
出会い
子どもを育てた経験がある為文と更紗の出会いのシーンにはゾクッとした。大体の大人は自分の子どもでなくとも文に声を掛ける。”どういうご関係ですか”と。連れ去り事件を連想した。その物語なのかなと思った。
二人はお互いに必要なものと不必要なものが一致していて心地好い関係なのだろうと読み進めるうちに理解できるようになった。父親の病死、母親の弱さがゆえに更紗は伯母に引き取られる。従兄の性暴力を訴える必要があったけれど小学生にはハードルが滅茶苦茶高い。そこを飛び出したい衝動に毎夜襲われた更紗が自分が穏やかに過ごせる居場所を探したくなるのはごく自然なことだ。
二カ月間文のアパートで生活しその間伯母から捜索願が出されても更紗は他人事の様だ。呑気な彼女は動物園に行きたいと文にせがむ。彼もまた何が起こるか想像できるのに出かける。そしてそこで警察に捕まり、彼女は保護される。
文の心情が良く分からないまま物語は進む。
DV
大人になった更紗は亮と同棲する。彼の心の闇に引き付けられた。
DVで苦しみ家を出ていった母親が強く影響したのか行き場のない女性を選び、意に背いた行動を取ると父親と同じように相手に暴力をふるう。気が済むと謝る。もうしないからと。それを繰り返す。心の治療が必要だと思った。
それに彼はプロポーズしていないのにいつの間にか結婚することを当たり前のように話す超自己中で強引な勘違い野郎だ。更紗はそれに違和感を感じ自分の”本心”を問う日々が続く中、たまたま職場の人と行ったカフェでその店主を文と認識した。夢中で文を検索したりストーカーの様に周りをうろついたりした描写は亮じゃなくとも事情を説明して欲しくなるだろう。
そういった心の欲求があっても亮の実家に母親代わりの祖母の病状の急変でほぼ強制的に帰省に同伴した更紗は、乱暴に扱ったためにできた痣を見て”もうしない”という彼の言葉に結婚もありなのかもと思い始めた。このシーンで本気で治療しないと治りにくいのがDVなのに騙されるな!もっとそれについて勉強しなさい!!!と本をベッドに強く置いた程熱くなった(笑)
亮もトラウマがあるのだろうけれど”前科”があるのだからその時心療内科に通うなどの対処がなされるべきだ。
この本で一番エキサイトしたのは彼の変貌ぶりだった。めっちゃ引いた。文に勝手に嫉妬しストーカーし更紗に死んだ目の笑顔で咎める。説明しようとするといきなり殴る蹴る。制御できないさまが気持ち悪かった。
異
真実と事実は異なる。自分たちと他の認識のズレが及ぼす力に押しつぶされそうになる主人公たち。多くの人は19歳と9歳が一緒の部屋に2カ月もいたからきっと変なことをされていたと認識する。その影響に苦しむ二人に苦しんだ。ネットで名前と顔をさらされいつまでも興味本位で意見する世間に自身もうんざりした。亮も数回ストーカーとなって罪を償った文をネットでさらしインタヴューまで受け週刊誌にネタを売った。叩きのめしてやりたくなった。自分から更紗を奪い去ろうとする文(実際は引き合っている)を叩きのめしたい、社会から抹殺したい、そうすれば更紗は戻ってくると思っているところが幼稚だ。思い通りにならなければ相手を殴るというシーンをイメージしてしまうのは例えフィクションとはいえ心の痛みを伴う。
芸能界での最近の出来事を思い出した。
刺さった言葉
①それが「わたし」なんだろうか。
亮が結婚の話をした時に更紗の過去を父親が許してくれる。分かってくれるよと放った言葉から更紗が心に湧いた反発。あんなひどい目ってどんな目なの?仕事より家のことをするのが好きなのだろうか、それが私なのだろうかと自分に問うてしまうくらい決めつけてかかる人を相手にするのは苦痛だ。自分もそうだけれど認識を覆すのは大きな岩を一人で動かそうというくらい困難なことも理解できる。だから自身は出来るだけ客観視を意識している。
②優しい
「力なく従順な被害者」というイメージから外れることなく世間から優しくしてもらえるが、逆にそれが出口のない思いやりで満ちていて、私はもう窒息しそうだ。
「せっかくの善意」ではわたしは欠片も救われてこなかった。
”優しさ”は凶器になりうる。表現したいのに先にそれを表現されると出来なくなって窒息する程の苦しさを味わうということだと思う。心の行き場を塞がれてしまうのだろう。日常に本当は違うんだけれどまいっかと思う軽い事象は経験がある。でもそれがネットで騒がれる程のレベルだとすると経験したことないけれど想像するだけでぞっとする。眠れない日々が続くと思う。世間に真実を話して気持ちよく生活したいのにフィルターを掛けて見られそれが出来ない苛立ちを感じた。真実は事実と違うのにそうされることの苦痛は半端ない。
③関係
親子、夫婦、恋人、友達のとは何となく違う。言葉にできるような分かりやすいつながりはなく、何にも守られておらず、それぞれひとりで、けれどそれが互いをとても近く感じさせている。
ぐっときた。互いがそれぞれの居場所なのだ。世間の形とは違っていても心の安定が得られる関係が一番なのだと思う。世間に認められたいと思うことを止め、自分たちのスタイルを優先し流浪しながら生活していこうとする自然体の二人が好きだ。
回収
警官に捕まると分かっていても動物園に更紗を連れて行った理由が最後の最後で分かる。検索してうすうすは分かってはいたものの19歳では自分の身体の特徴をずっと家族に相談できないでいた。この先もそれを嫌悪する生活が続くのかと思うとそれを強制的に終了させたくなった。その手段が警察に捕まることだとのことだった。身勝手だ。他の方法があったはずなのにと思えてくる。
それぞれのエゴが混ざり合ってたまたま二人は合致し、求めあったのだと感じる。互いが居場所なのだ。二人一緒であれば住む場所は固定されなくてもいいのだ。
15年隔ててもどのような関係であっても求めあう限り自然に形を成していくものなのかもしれない。