尊敬出来る人に”出会った”。
朝礼
悪口や小言が多い先輩が未亡人のお母さんの話をよくしている。
耳が遠くて困る。病院の受診に関すること全て自分に頼ってくる。大食いで困る。プレゼントしたものをすぐ捨てる(究極のミニマリストだと思う)。そう愚痴りながらもそこにはいつも愛があった。自身以外の周りもその愛情を感じてるからこそ皆ニコニコその話を聞いているのだと思う。
2週間ほど前そんな彼女が神妙な面持ちでお母さんの余命宣告を受けたと朝礼で話した。一年前の手術で一旦は回復に向かい完全復活を遂げたと思って過ごしていた時のことだからショックは大きかったと思う。自身もショックを受けた。
覚悟
彼女は告知を受けた後家族が心配する中他人事のようにはきはきと先生に、病院での治療は一切しないと伝えたらしい。家族が驚くくらいに冷静に。
人生で二人目だ。”男前な人”に出会ったのは。
”最初の人”は父方の祖父。大往生と言っていい位の年齢であったことは確かだが、頭は最期までさえていたので自分の行く末を感じるのは苦痛でしかなかったはずだ。
大きな手術を受けたにも関わらず体調が一向に良くならない。努力家の祖父は手術執刀医に不信の目を向けた。当時は大事な告知を本人に伏せるという行為がまかり通っていた時代。実家もそれに準じていた(その感覚に対する不快感が後の自分を形成する)。
直接執刀医に聞きたいと言い出した祖父に告知をしなくてはならなくなった父。食卓は鎮まった。”癌か。なら仕方ないな。”その二言で終わった。
それからというもの一斉そのことには触れず杖を突きながら出来るだけ自分のことはしたと思う。ひ孫と写真を撮ったり。何故だと思い悩む時間をしておきたいことを実行する時間に費やすことが出来た。弱さを見せないようにしていたと感じる。
先輩のお母さんを尊敬する。自分も見習いたいと思う。
更衣室
日ごろ彼女が陰で自身の悪口を言っているのは感じている。狭い仕事場だからよく見え聞こえるのだ。彼女が発信源となって悪口を言いたい人たちに波及して言われ放題。居心地悪い思いをしているのは本当のところ。何とかしたいとも思わなくなった。その感覚はずっと続くような気がする。(しかしながら悪口を言わない人も少しずつ増えているから続けられているのかもしれない。)
そんな先輩と数日前更衣室で二人きりなった。お母さんの体調を聞き、良く寝れているのか心は落ち着いているのかたずねた。”男前”と言葉に出していた。お母さんのことを心の底から尊敬していたのでそれが伝わったと思う。
帰宅後LINEが入っていた。仕事のことで自身を気遣う内容だった。滅多にないことだった。嬉しかった。