不思議発見、未知、UFO、探検。そんなワードにわくわくする。
アンモナイト
真剣に探しに出た。小学校低学年だったと思う。近くに工務店があり、そこで”アンモナイトの化石”を発見した。狂喜乱舞。大発見したと大喜びで親に報告したことを覚えている。親は否定せず受け止めたと思う。小学校高学年まで本物だと信じていたから。その”発見”から暫く化石を探し求めて近所を探検していた。
基地
小学校の放課後は男子と遊ぶことも多かった。幼馴染の女子とシール、メモ帳交換(そういう交流が流行っていた。)やリカちゃん人形で遊ぶ以外は公園や空き地で遊んでいた。ブランコに乗ってどこまで飛べるか試したり、基地遊びをしていた。
段ボールを拾ってきて弟たちと屋根付きの基地を作った。3人位入るスペースの結構立派なもの。
ある時争いになった。近所の男子たちが”わが陣地”に集まってきて基地を作り始めた。いつも遊んでいる場所が狭くなってしまうから争いになった。こちらには従弟たちもいたから大人数。その人数に対抗するかのようにどんどん近所の男子たちが集まる。最後は石の投げ合い。文鎮も相手は投げてきた。石は一番下の弟の目近くに当たり、文鎮は自身の自宅の壁に穴を開けた。(自宅横の空き地で遊んでいた。)
弟は泣き叫んだ。そして伝家の宝刀出した。”あ~あ~親に言いつけてやる~”これで争い終了。(弟に大事はなかった。)
このようなことは日常当たり前にあった。今では大問題になる。
パトカー
幼い時から自分の位置を確かめる習慣がある。方角、建物の位置、振り返ったときに見える特徴的なオブジェ、看板、色…行きと帰りでは見える景色が違う。見え方が変わる。なぜそんな小さい時から周りを確認する習慣があるのか。そのわけはある出来事が大きく関係している。
小学校一年生の時市内で転校した。海の近くに家を建てたのだ。友だちもいなく、大人たちは忙しくしている。遊び足りない私はすぐ下の弟を海へ誘った。あまり深く考えずに。両親に告げることなく。
海は楽しかった。貝殻を拾い、海に足をつけ、砂で山を作り棒倒しをしたり、砂の山にトンネル作ったりして遊んだと思う。
さて帰ろうと思ったらどこから入ったか分からなくなった。不安になりながらも弟がいるから泣くわけもいかない。適当に出入り口から出て住宅を目指して歩いた。そのうち行きに渡った横断歩道が現れることを信じて。でもどんなに歩いても家が見えてこない。
そのうち不安が抑えきれなくなり、泣いてしまった。泣き続けた。泣きすぎて戻した。丁度小学校で渡されたお道具箱の蓋があったからそれをキャッチした。さほど時間差なく弟も泣き始めた。二人で泣きながら、そして臭いものを持ちながら歩いてるから目立ったと思う。すれ違った中学生のお姉さんが声をかけてくれた。恩人だ。彼女はすぐ近くの交番まで連れて行ってくれた。随分歩いたはずが、家から大人の足で20分くらいの距離の交番。
暫くするとパトカーに乗るよう促された。車の中で無線で自分たちの特徴を警察官が伝えている(今からすると不謹慎だが貴重な経験をした)。安心すると同時に親の顔が浮かんだ。怒られる。どうしよう。でも怒られなかった。怒られたのは母だった。悪いことをした。
こう記していて、結構自分は昔からやらかしていると感じた。小学生のころと今も本質はあまり変わらない。これと思ったことに一直線なところがある。
何も考えずに遊びたい。無心に遊びたい。最近そう思う。