槇原敬之のコンサート、選んだ理由はぼんやりしてる。たまたま見たぴあのサイトで何故かタイミングだと思ってコンサートの前々日にポチっとした。

挨拶

薬物法違反で逮捕されたことは具体的な言葉では表現されなかったものの自分がファンだと堂々と言えない状態にさせてしまったことを冒頭で謝っていた。

繰り返してしまいがちなことだけれどなんとか足踏ん張って今をキープして欲しい。

準備不足

”もう恋なんてしない”、”NO.1”、”遠く遠く”など20代から今まで気づくと聞いていたように思う。だからその曲たちをいっぱい聴けると思っていた。がしかし、考えが甘かった。コンサートには何かの意図があって開かれる。今回は新しいアルバムを発表する機会としてのものだと序盤になって気付いた。知らない曲が2/3あり、乗り切れない自分がいた。そういう意味では残念だった。一緒に行った娘の方が知っていたことに驚いた。

準備は必要だ。

痺れた言葉

勉強不足に少々後悔する中それでも歌詞をしっかり聞き取り楽しもうと思った。でも歌詞はハッキリ耳に入ってこない。特に高音になるとぼやけて割れて聴こえた。そんな状況の中でも感動した歌がある。涙が出て、鼻水も出た。マスクがあって良かった。涙が止まらなくなったことを何故か娘には知られたくなかった(笑)

”無くしたものの代わりに得たもの一つ一つを数えれば幸せを感じる”というような歌詞が心に刺さった。題名は分からない。ネットで探したけれどあまりに曲が多く途中挫折した。ゆっくり調べようと思う。この歌詞は彼の経験からきたものと思えたからからこそ重みが増した。でも感動したのはそれが理由じゃない。自身の経験とリンクしたから。寝耳に水的なことに襲われ寝不足が一年半以上続いたためか昨年秋の血液検査結果に青ざめた。それがきっかけで気持ちを切り替えたことを思い出した。悩み苦しんだ分きっと得たものがある。幸せを一つ一つ数えていこうと思えた。やはりコンサートに行って良かった。

もう一つは”LOVE LETTER”。出だしの”線路沿いのフェンスに夕焼けが止まってる”ここでやられた。頭に情景が簡単に浮かんでくる。夕焼けが止まってるって表現に心を持っていかれた。そして”何回も何回も書き直した手紙はまだポケットの中”で号泣。状況によってはヤンキー気質になることが何故か時々ある。その時は”なんで声掛けねーんだよ!さっさとしろよ!うじうじしてんじゃねーよ!”と背中をグイグイ押したくなる感覚になることもあるけれど、その時は切ない世界にどっぷり浸かった。

馴染みない曲が多い槇原敬之のコンサートに何故娘が行くことをOKしたのか不思議だった。代金はこちらもちということもあったのかもしれないけれど、母の誘いには出来るだけ応えようとする彼女の思いがあると後で感じた。先に話した昨年秋の検査で自身が腫瘍マーカーの数値が基準を超えたということが彼女にストレスを与えたと思える。また、彼女の高校からの友だちの母親(自身と同年代)の乳癌が検診で分かったと友だちから告白を受け、その苦悩を目の当たりにしたこともあったと思う。

どのような理由であってもこちらとしては娘と過ごす日々はこの上なく嬉しい。ただ、彼女の負担にはならないことを心に決めている。

きっかけ

帰りの電車の中で娘は次なるコンサートを探していた。クラシックコンサートも大好きだから検索してたけれど好みのものは東京しかなかった。そのうち西島隆弘のコンサートが今年秋から来年にかけて行われることが分かったと彼女は嬉々とした。地元で取れたら一緒に行きたいと思っている。

ドキドキワクワクが大切だ。