2019年10月に亡くなった父の納骨が今年2022年6月末行われた。内孫もいないし絶えるお墓ではあるものの自分の代で終了するのは手続きや心の問題もあって考えたくない母は強行した。
納骨当日
前日最終便で実家に戻り翌日納骨式。叔母、従弟たち、父の叔母とその家族が到着。墓石を清めている時、下の弟の車が自宅から出発しようとしたらパンクしているのに気づき到着が遅れると連絡が入った。その日は湿度はなかったけれど日差しと風が強く長くは外にいたくなかったから少しイライラした。長男の挨拶が終わってから少し経って到着した。間に合ってよかった。
墓に父の骨を入れ手を合わせ墓石を元に戻す。余談だが、墓には色々な骨が無造作に入れられている。骨壺単位で収納?されているのかと思っていたのだが、何だか複雑な気持ちになった。
コロナで遅れた納骨式。母はこれが自分発信の最後の行事と言っていた。無事終わって良かった。
会食
ホテルに入っている中華店の一室を借りて会食した。
最初の席決めが一番緊張した。二テーブルに別れなければならず、肝心の母が席順ハッキリしなかった。けど結局一番近い家族同士で固まったから安心した。数が合わなかったから最後は独り身の従弟たちで数を合わせた(笑)
この時成長したなと思えたことがある。会食が始まる前まで母の隣に座っていたが下の弟夫婦が遅れてきた時にスッと席を譲ることが出来た。以前ならどうして一番先に生まれた自分が女性ってだけで肩身の狭い思いをしなきゃならないんだと強く主張していた。基本男尊女卑を嫌うのは今も変わらないが、最近は変わらない人を受け入れることで母が気持ちよく過ごせるならそれはそれで意味があると思えるようになった。実家に感じていたわだかまりから自分を解放出来ていることが分かった瞬間。気持ちよかった。
料理もお酒も最高に美味しかった。
海
散骨が合法かネットで調べたら家族が合意をしていれば問題は起こらないらしいことが分かった。特に届け出もいらないみたいだ。ここに書くことで問題になることもそうないと思う。
父は海を愛した。海に入ると体の凝りが取れると嬉しそうに話していた。その影響で子どもの時は強制的に海に連れていかれた。当時は嫌で嫌で仕方なかった。身体はべとべとするし、足元は海藻でヌルヌル、砂でじゃりじゃりするか岩肌で足を切るかどっちかだ。クラゲもいるし安心して海に入っていられなかった(そんな中小学高学年の時に教えて貰った素潜りは面白かった。三メートルくらいだったけれどドキドキする体験だった)。今思えば贅沢させてもらっていたなと思う。
子どもたちが小学低学年の時海水浴に父に連れて行って貰ったことを思い出す。父と母、それに自身と子どもたち五人で。そこは夏でも冷たく感じる澄んだ海。驚くほど肌が白い父が、その数か月前に亡くなった祖父の骨を散骨するために来たとボソッと言って海に入っていったのを覚えている。
同じ海に父も返してあげたい。祖父が育った海に。そう強く願い実現した。
山
すぐ下の弟は山にこだわった。
スキーとボードをする父は週末一人でもスキーに出かけるほど山が好きだった。それも祖父の影響を受けている。祖父は若い時から山スキーを楽しんだらしい。
姉弟三人、従弟二人、近くに住んでいた遠い親戚のお兄さんは時々だったけれどよく連れて行ってくれた。学生の時は朝早くたたき起こされ迷惑至極な話だったけれど( 午前三時過ぎに起こされたりした)、今となってはスキーを滑れるようになったのはその父の”馬力”のお陰だった。感謝しかない。遠い親戚の”お兄さん”はそのことを父に感謝してくれているから海の散骨に付き合ってくれたのだと思う。
通った山のゲレンデの駐車場から少し登ってその地に到着。ゴンドラ乗り場に向かう中腹に粘土質の土を少し掘ってほんの少しだけ収めた。ここからの眺めは素晴らしい。父も満足するに違いない。
宿泊
山のふもとにあるホテルで宿泊をした。母とすぐ下の弟と三人で。一番下の弟夫婦は仕事が忙しく不参加。父の妹は参加予定だったが当日体調が思わしくなく参加できなくなった。残念だった。彼女は最近記憶が前より定かじゃなくなってきているから従弟たちも今回の小旅行に参加させるのが不安だったに違いない。でも出来るうちに交流をしたかった(出来るだけ早めに次を考えることにする)。
夜は近くのイタリアンで食事をした。とても素敵な食事だった。美味しかった。
翌早朝温泉に母と一緒に入った時のこと。母はしきりによく見ないでよ、あなたより残念なんだからと言ってきた。いつものことながらまたかと呆れた。どんな意識なんだ。娘にそんな意識を持つのは正直気持ち悪い。娘はライバルなのか。自分と娘のことを考えてみてもよく分からない。昔からそういうところに閉口していた。尊敬が大きかっただけに30代前半初めてそれを感じた時はショックが大きかった。でも今まで習得した”やり過ごす技”を身に着けていたので顔色を変えることはなかった。
色々感じることはあったけれど、ニンニクいっぱいのイタリアンとワイン、早朝貸し切り露天風呂を満喫し大満足だった。
ドライブ
洞爺湖、室蘭地球岬とドライブした。
洞爺湖のウィンザーホテルに行った。エントランスは要人を外敵?から守るためなのか閉塞感を感じる作りになっていた。バブリーな柱が何本もある。ランチをしようと思ったけれど予約でいっぱいとのことで断念した。聞くとランチで4~5万円はするらしいとのことだったから丁度良かった(^_^;)
ランチは”望羊蹄”にした。昭和チックで趣がある。それもそのはず70周年を迎えたお店だった。中にはお客さんの写真が飾ってあった。白黒の写真もあった。
ホタテのスパゲッティを頼んだ。麺は少し太めで香ばしかった。ホタテも大きかった。懐かしい味。少し味を変えたくなってマリーシャープスのハバネロ中辛ソースをかけて食べた。めっちゃ美味しい(その席でアマゾンにアクセスし注文した)。いまさらながらこのお店を見つけた弟の”嗅覚”は本物だと思った。
因みに弟はハンバーグセット、母はコーンスープとタマゴサンド。弟は美味しいを連発していたが、母は卵が甘いと少し残念そうだった(それに本当にタマゴサンドのみだったから、もう少しバリエーションが欲しかったと感じたみたいだ。ハムやレタスがちょっとでも入っていたらもっと良かった)。
地球岬は晴天に恵まれその見晴らしに感動した。弟によれば、何年か前のどこかのアンケートで札幌の時計台を抜いて一番になったことがある観光スポットだとのことだ。それを実感した。母も慣れないスマホを手に写真を撮っていた。普段はその機能を使おうともしないのに。地平線が丸く見えるのだ。
疲れるからと何度も渋る母を連れ出した弟に感謝した。

成長
今回の帰省は盛りだくさんで体調に自信がなかった。仕事終わりに最終便で帰省、朝から準備、車移動、納骨、会食。翌日朝から散骨、宿泊、ドライブ。一日実家で休めはしたものの次の日帰宅。その帰宅も波乱があった。出発時間が2時間と少し遅れたのだ。お土産買ったり空港でゆっくり過ごす時間を考慮して早めに空港に到着していたからプラス一時間は余計に待つことになった。
ハプニングを含めとても疲れたけれど、納骨をして良かったと思う。思い出が増えたことも嬉しかった。母との関係に悩んだ時期が凄く長かったけれど今回の小旅行で自分が成長したと実感できたことに一番感動した。