五月中旬嬉しい知らせが届いた。

独り暮らしの85歳の叔母のところに柴犬の仔犬がお試しでやってきた。従弟が決めた。彼は妻と息子三人で叔母のマンションの近くに住んでいる。彼は母親の記憶力が変化しつつあること、それに本人が気付いて不安が大きくなっていること、最近骨折した腕を手術で治したがそれが引き金に引きこもりがちでネガティヴ満載の毎日を送っていることを心配してその弟と相談して送り込んだらしい。

母の懸念

聞いた時は従弟が管理するだろうという前提が頭の中にあったし”良かった。今度会える”とワクワクしていた。叔母の怪我を心配したがネガティヴにならずに済むとホッとした。しかし母は自身の言葉に”まだ若いね!!!”と発した。毒気を感じた。

叔母と本当の姉妹以上に交流のある母は”この年になると一人が一番なのよ。かわいい孫であっても毎日来るとシンドイ。嫁にも気を遣わなきゃならないし。それに柴犬の仔犬は特に運動量が半端ないと聞く。○○(下の弟)にも話したらいやぁ何で今なんだろう。それに柴犬の仔犬は物凄い運動量だよと言っていたの”と反対の意見を吐き出していた。叔母の言葉に同調してのこともあったろうとは思う。

”お父さん(父)も生きていたらきっと反対していたと思うよ”の言葉に嫌気がさした。そうだそうだった。父は何でも決めていた。40代半ばで夫を亡くした妹(叔母)に援助したり心の支えになっていたことも影響しているとは思うけれど。誰かの力を借りて意見することに抵抗がない人を感じたくはない。

境界線

GWどうだったという母からの問いに息子とのやりとりでわだかまりが出来たと話した。

彼の彼女をどうしても前向きに捉えられないことが飲み会で娘の彼氏をべた褒めすることで露呈してしまったみたいで(意図的ではない)涙させてしまった経緯を伝えた。二年程続いたほぼ毎日の真夜中のスピーカーでの通話(スピーカーだと眠れないから止めてくれと何度もお願いした)、不在中の訪問、境界線の無い他の家族への接触はどうしても彼女を好きさせてもらえなかった。

それでも彼の人生なのだから自身が介入することでその方向を妨げたくない。逆に言えば彼の人生に責任を負いたくないから自分に関係なく進んで欲しいと思うと息子に伝えた事を母に話した。

それが功を奏したかどうかは分からないが、叔母やその息子たちが決めたことなのだから応援したいと思うと言葉をくれた。それが嬉しかった。

自分の視点で捉え意見するのは当然のことだけれど、それがあまりに強すぎると相手の為にはならないことを頭におくことが双方にとって良いと思う。これは子どもがある程度大きくなってから気付いたことだ(遅すぎる!!!)。意見する方もされる方も境界線は必要だ。どんな関係でもだ。意見される方は迷うことである程度弱っているから”する方”が特に境界線を意識することが大切だと思う。

責任

実家にいた黒のラブラドールは長寿を全うした。耳にがんが見つかり手術したがその後転移で亡くなった。最期を看取ったのは母と叔母だ。叔母は飼い主が出来なかった排せつ物を素手でキャッチするという位愛情を持っていた。最後一緒に寝ながら看病したのは彼女だ。それ位愛情は半端なく溢れ出るひとだ。出来るだけ多くの時間を柴犬とともに楽しい時間を過ごせたらいいなと思う。

叔母に育てられた従弟たちは必ずやそのNEW FACEを最期まで責任を持つに違いない。見守ろうと思う。