物心ついた小学生のころからでしょうか。漫画の影響もあって自分は”橋の下で拾われた子”じゃないかと何度も思いながら育ちました。今思うと親に対する欲求が強かった様に思います。
進路
家から離れたくて、でも自分から言えずに悶々と毎日過ごしていたところ高校の先生から大学受験先の提案を受けました。受験先は家から通える場所でなく下宿しかありません。反対するかと思いきや親は不思議と即決、快諾。話はトントン拍子に進み家から離れることが出来ました。
友人とのコミュニケーションを自分で選び楽しむこと、毎日生活にはお金がかかること…刺激、学び多かったです。一番変化できて嬉しかったのは、親へ心から感謝できたことです。
成長と喜び感じるきっかけを与えてくれた先生に感謝してもしきれません。
ペーパードライバーが再びハンドルを握ったとき
20年前の話です。10年のブランクがあったけれども必要に迫られて運転することになったときの話です。
近くのホームセンターの駐車場(ちゃんとお店の商品は購入しました!)と自宅の駐車場を往復する練習から始めました。
ある日、急に子どもが熱を出したので小児科に行く為車を運転することになりました。無事診察が終わり、安心したのかその駐車場から出てすぐの溝に左後輪を落としてしまいました。
途方に暮れていた時、近くの工事現場にいた男性たちが声を掛けてくれて、車を持ち上げてくれました。何事かと医院から出てきてくれた看護師たちも含め、”成功した!””よかった!”と手をたたく人もいました。あったかい雰囲気が流れました。騒動を起こした本人が言うのもなんですが(^▽^;)…
本当に感謝しかないです。
10年位前の話です。
雨の降る日、仕事を終えて帰宅を急いでいました。自転車で坂道を下っていたら石か何かを踏んだか、もしくはマンホールがそこにあったかでバランスを崩し私は頭から地面に落ちました。(スローモーションを経験しました。)額を打ちました。
その場にへたり込むしかありませんでした。頭がボーっとして前が見えなくなりました。自分の血が視界をふさいでいました。
そんな中物凄い力強い声を掛けてくれた女性がいました。雨が激しく降っていたし、人通りなかったはずなのに不思議でした。
車持ってきて!ブルーシートない?ガーゼも!タオルでいいから!
ブルーシートで覆われた車の後部座席に座るよう促され不安を感じつつも(全く知らない方に、何もできない状態で車に乗ってと言われたので)、近くの大きな病院に連れて行ってもらいました。待合室でも傍にいてくれて…感謝しかありません。
落ち着いてからお礼に伺いました。中心になって助けてくれた方は近くの診療所の看護師でした。感謝、感謝、感謝です。
この事故の時、大きな集まりの後たまたまお友達の家で数人でお茶してたそうです。会をお開きにして玄関先でお話ししていたところ大きな音がして見たら、人が倒れて血を流していたと状況をお話ししてくれました。
もし数分その時間がずれていたら、もっと言うと彼女たちが大きな集まりの後お家でお茶していなかったら…私は暫く一人道の真ん中で頭から血を流しながらボーっと座っていたと思います。
守られてる感覚
守られているならそもそも上記のような経験をしないのじゃないかと思う時も正直あります。
でも、ピンチの時に手を差し伸べられる感覚があるのは説明できないけれどあります。
目の前に差し迫った状況の人がいれば声を掛けたいと思って日々過ごしています。おせっかいにならないよう気を付けながら。
手を差し伸べてくれた方たちの優しさを感じ、それを素直に受け取る嬉しさを体験できて幸せです。