読む本が手元に無くて家の中をごそごそ探していた。アガサクリスティーの本をメルカリで購入してはいたもののそれでは間に合わない、すぐに読みたいのだ。
以前に読んでいた本を探していたけれど随分前に移動させていてその場所が分からないことにもイライラした(今はその所在は分かっている)。息子の部屋を漁っていたらボロボロになった夏目漱石の”こころ”が出てきた。随分前何気に買ったものだ。本人に聞いたら読もうと思って持って行ったとのことだった。
読み始めてなかなかその世界に入っていけずに何度もページをめくり返しながら半ば義務感(?)で無理やり読んだ。
「私」
「私」は先生を浮き彫りにするための人物だ。
何故鎌倉の海水浴場で何日も観察した上で「先生」に声を掛けたのか。人と人の出会いに理由は要らないのだろうけれど、特別惹かれる理由が全く分からない。互いに目が合うとかということもないそんな中でどうしてなのか知りたくなった。とても一方的な想いを感じた。
昔は見知らぬ人が声を掛けてきてその後関係を深めることも普通にあったのだろう。海水浴場で出会って声を掛けられてそれが縁で家に出入りし、後で返済するにしても口約束で交通費を出してもらったり、夕食に呼ばれたりするのは今はなかなか聞かない。なくはないのだろうけれどそれが不思議に感じるのは色々な犯罪が多くなったせいなのだろうか。平穏な時代をそこに感じた。
一方で、厭世的な「先生」が否応なしに積極的な「私」を受け入れていく様が面白かった。書生を裕福な家庭がなにかしら援助するのは当たり前の時代だったのか。にしても、「私」はとても強引だったような気がする。
タイミング
学生の頃亡くなった両親の遺産に長い間手を出していた叔父のせいで「先生」は人間不信になった。その経験があるのに一番と言っていいほどの親友を出し抜いた。それほど下宿先の”御嬢”に狂っていたのだが親友Kに誠実に向き合わなかったことが徐々に自分を追い込んでいくことに気付かなかった。
Kは生みの親に里子に出され、養親に自分のやりたいことを主張した結果(これもやり方は不誠実だったが)見放され、学費、食費を自分で勉強しながら賄うという苦しい生活を送っていた。見かねて手を差し出したのは「先生」だ。御嬢の母に止められたのに下宿先にKの部屋を用意したのだ。Kにとっては同級生に救済されることに少々抵抗はあっても感謝して生活していただろうと思う。
そんな時恋愛感情が二人の関係を壊していく。
ライバルの出現が「先生」の潜在意識下にあったこころを顕在意識に浮かび上がらせた。Kが「先生」に御嬢を好きだと告白した時自分もそうだと言えない気持ちは充分わかる。突然のことだから驚きも大きかっただろう。でも一日か二日後にでも表現したらどれほど結果が変わってきたことだろう。
不誠実
自分はこころを打ち明けないままKを出し抜いて御嬢の母親に根回しして婚約にこぎつけた「先生」を大体の人が卑怯者と思うに違いない。自分が資金を提供しようと思える相手なのだからKも大切な人に違いない。たとえ恋に狂っていたとしても思いやる気持ちを持っていたはずなのだ。Kの才能に劣等感を持っていたのが原因の一つかもしれない。
Kは喉をかききって自室で自殺する。
第一発見者の「先生」は淡々としていた。凄まじい光景が目の前に広がっているにもかかわらずだ。それに一番の関心ごとは遺書だった。そこに自分の名前が入っているかどうかをとても心配している姿が残念だった。
タラレバ
作品を読んだ後寝られなくなって自分の感じたことを紙に吐き出した。
御嬢の母の言うことを聞いてKを下宿先に上げなかったら。
あの時すぐにKを追いかけ自分も御嬢が好きなんだと告白していれば。
叔父にされて嫌だったことを自分もやろうとしていることに気付くことが出来ていれば。
御嬢ではなく他の人と結婚していれば。
妻(御嬢)に悩みを打ち明けていれば。
「私」が「先生」の傍で話を聴いていたら。
いくつもの分岐点があった。
Kが死んで先生の”生きながら死んでいる”人生が始まったのだと思う。
自己中
こころに一点の曇りを残したくないというのが妻に経緯を明かさない理由だとあった。きわめて自己中心的だ。無垢な妻が好きなのだとも思う。
ただ問題なのはそれによって彼女が夫に近づけないで苦しんでいるということだ。何か一枚隔たりを感じているとあった。
そして理由も分からず留守中に夫の自殺を知らされどん底に突き落とされるのだ。愛し大切にしているなら一番避けなければならないことだ。
苦難を共有することで連帯感が生まれ愛情が深まるのにそれを積みかされられない辛さははかり知れない。
二者択一
父の臨終直前に受け取った「先生」の手紙を読み「私」は家を飛び出し東京行の汽車に飛び乗る。父より「先生」を選んだ。それは熟考してのことではなく反射的に出た行動だ。
どうしてそこまでとそう思う。
「父や父の家族と私との関係にあたらしいドラマの可能性を胎動させることにもなった」と三好幸雄氏が述べているのをみて小説的に少し理解した。でも中に入り込んでしまったからか別の感覚が宿った。
「家族とは別にどうしても惹かれてしまうご縁がそこにはあった」と少しロマンチックになるけれどそう感じたくなった。
