少し前、”インクレディブル・ファミリー”吹き替え版を途中から観た。(昔は字幕派。雰囲気が伝わりやすいから字幕は好きだ。今は映画の時間を通して取ることが難しい。吹き替えだとアイロンかけながら観ることが出来るから助かる。)
《以下ネタバレあるのでご了承の上ご覧いただけたらと思います。》

家庭の雰囲気、その影響力
インクレディブルが役割交代で父親が子育てに奮闘し、周りの協力を得ながら最後は前向きに捉えてるところが素敵。イラスティガールもいきいきと仕事をしている。それぞれの立場を体験することで思いやれる。今の時代に合っている。
子どもたちがお父さんに感情をぶつけてるその環境が羨ましかった。お父さんも素直に感情を表現できているところも。表現しあうことで理解を深める。そこがいい。
ダッシュはマイペース。たくましい。ものおじしないところが好き。勢い、判断の速さがある。
ジャックジャックの天真爛漫さも大好き。表情、声全てが可愛すぎる。喜怒哀楽の大切さを感じる。時々は大人もここに”戻って”いいような気がする。
何度も再生したのは、バイオレットがお父さんに感情を爆発させるところ。彼女の表情と雰囲気が娘に似ている。魅かれるのにはそういうところもあるのだと思う。
もう一つの理由は羨ましいということ。自身の場合、それとは全く異なる環境にいた(-.-)…表現したら叩かれた。真っ暗な室や寒い車庫に入れられた。理由を聞けずにただ謝りなさいと母に言われた。
30分しか観れないTV番組を弟たちとなぜ多数決で決めなきゃならないのか。説明を求めたら車庫に入れられた(多数決だとウルトラマンか仮面ライダーになってしまう。ひみつのアッコちゃんには絶対ならないのだ。)。ピアノレッスンに行きたくないから、先生の家まで送るというおじの申し出を断った。そしたら父に無言で叩かれた。主張するのを中一で諦めたのはこの繰り返しが当たり前にあったから。
黙って父の言うことに従う。黙って耐えることが美徳。そういう家庭。今だとDVにあたるかもしれない。(不思議と父を嫌いになれなかった。愛情を表現するのがとても不器用だと大人になって感じた。)
長い間子育てをしてきたが、自由に表現する環境を整えることに一番気を配ってきた。
みんなと一緒
特殊能力を持った人が引け目を感じながら生活しているという内容の言葉も心に止まった。
みんな一緒だと安心。分かる。試験勉強あまりしなかったと話す友だちに安堵したものだ。でもそれは同時に少し外れると”肩身狭い”と感じたり孤独にも通ずる。私は色んな形があっていいと感じている。支障があると感じるときは表現したらいいのだ。自身も幼い時から人との違いを感じ、抑えながら生活してきたからかもしれない。だから、より一層互いにないものを認め協力する考えが心地よいと感じる。
今回この映画に出会えて本当に良かった。感情を表に出す大切さを思い出させてくれた。このブログで表現することも”感情を表に出す”一部だと感じる。ありがたい環境に感謝。