先週土曜日に職場の有志で飲みに行った二次会にカラオケに行った。まさか二次会があるなんて思わなかった。前回は一次会だけだったから油断した(笑)

得意不得意

カラオケが好きな人、苦手な人は結構はっきり分かれる。自身は苦手だ。音痴じゃないけれど音がブレるし声がもともと小さく声帯が強くない。すぐにかすれる。音域も狭い。いいところなしだ。歌が上手い人が滅茶苦茶羨ましい。

一方先輩は上手い。点数も常に90点代だ。安定感がある。カラオケに行きたがるのは納得だ。居心地が悪くなかったのは”仲間”がいたからだ。他のメンバーは得意な感じじゃなかった。救われた(^▽^;)

昔の癖

新卒の頃は昭和だったからか、今もなおそのノリが身に沁みついていることを今回のカラオケで再認識することになった。

当時は有無を言わさず飲み会の二次会と言えばカラオケが多かった。ボックスもあったけれどお店の正面中央にステージがありそこへ行って他のお客がいる前で歌った。行って来いよ!と先輩に言われれば仕方なく選曲し歌った。今だとパワハラになるのかもしれない。

今回一次会で帰ると思って駅に向かって歩いているつもりだった。しかし着いたのはカラオケ店。もともと土地勘がない上に酔っぱらっていたから皆についていくしかなかった。というより何度も言うようだが帰るのだと本当に思っていた(笑)

お店に着いて驚いて部屋に入って覚悟を決めた。さすが昭和世代だと我ながら思った(笑)

平成に入って仕事を始めたであろう二人の後輩は”苦手なんですよぅ””何歌えばいいんですかぁ””二人で歌いましょうよぉ”と歌いたくないオーラ全開。先輩の機嫌が悪くならないようにと思ってしまう自身(^▽^;)

順番を守り先輩の後にすぐに曲を入れる。酔っぱらっていてもそれは出来た。下手くそながらシャウトした(笑)選曲は中森明菜の”飾りじゃないのよ涙は”。

遺伝?

二曲目を歌った時だっただろうか、後輩一人が動画を撮り始めた。”え?!何やってるの?”ツッコみたくなったけど歌ってるからツッコめなかった。先輩も何も言わないから歌い終わってもその話が出来なかった。その後選曲しなきゃならなくなったからそのこと自体忘れてしまっていた。

結局終電を逃し(当然バス最終便は22時半)、0時過ぎ先輩の娘に車で迎えに来てもらうことになった。家に戻り歯磨きと顔は洗ったみたいだった。朝起きたら脱衣した残骸がそこら中に散らばっていた(^▽^;)そんな状態の中LINEを開けるととんでもないものが公開されていた。昨晩の動画だ。二日酔いじゃないのに頭を抱えた。

未だに再生できない。静止画でもうその先の自分の状態が想像できた。頭を抱えて布団で口を押えて”もう嫌だぁ!!!!”と叫ぶ。ベッドでゴロゴロ身体をローリングさせ気持ちを抑えようとした。一通り悶え苦しみ、再びその静止画を見てデジャブを感じた。

父の歌い方にそっくりなのだ。右手にマイク、左手は直角でこぶしを顎の高さに固定する。その姿に更に悶え苦しんで、ただただ苦笑するしかなかった。その歌い方を子どもの自分は嗤っていたから。そういえば父は歌うのは好きだったけれど上手ではなかった。上手じゃないのに好きなのはどうしてなのか良く分からない(因みに家族の中で唯一上手なのは下の弟だ。サブちゃんの”祭り”はその弟子より上手かもしれない。声量も半端なく歌い上げ友だちや職場の同僚から何度もリクエストが入るらしい。同じ血なのにどうしてこうも違うのか、本当に羨ましい)。

反応

昨日職場で先輩と飲み会後初めて一緒になった。二人になった時”土曜日、めっちゃ楽しかったね。又行こうね”とテンション高く言われ嬉しかった。ホッとしたと言った方が近いかもしれない。

上下関係は余り考えなくていいからと言われているけれど真には受けていなくて、実は厳しいと思っていたから日頃出しゃばらないように気を付けていた。それなのに二次会でカラオケの点数はめちゃ低くてもはじけて目立っていたのは自身だと感じていたからだ。盛り上げなくちゃという昭和精神が行き過ぎていたのかもと気になっていた。

今回の先輩の言葉で自分が芯から楽しんでいたことが分かった。そんな自分を先輩も理解してくれていたということも分かってとても幸せな気持ちになった。下手くそでも楽しんでいれば幸せ感じるのだ。カラオケ前より好きになった。