昨日良いことがあった。
神社にお参りしたお陰かなと思ってる。
昨年の秋父が亡くなり、今母が一人実家で生活している。今は新コロナウィルスの為なかなか積極的に外出できない日々が続いている。一人家に籠っている状態。今は若い時から毎日欠かさず書いている日記を読み返してると昨日電話で伝えてきた。
母と話していて、小さいころ痛みとして残っていた感情が解放された。
過去の痛み
母の母、祖母に私はその死に際に”嫌い”と言われた 。直接病室で聞いた。”めるめる(私)、来てますよ。””ああ、あの子嫌い”と言われた。とても敏感な年頃だったから酷く傷ついた。でも一方では仕方ないと思っていた。
祖母は娘の状況を思いやることなくどんどん嫁ぎ先に毎日長時間電話をかけてきたのだ。そして今度そっちに行っていいか?と必ず聞いてくる。母は悩んでいた。父や同居する祖父母の間で。だから私に祖母が遊びに行っていい?と言ってきた時いい返事をしなかったのだ。母を守っていたつもりでだった。
弟たちは事情を知ってるか知らないかそれはわからないけれど、祖母に話を合わせていた。だから祖母に思いっきり対応の差を付けられた。悲しい寂しい思いをずっと持ち続けていた。ただそれを感じないように自分を守って生活してきたように感じる。
解放
昨日の母との電話でやっと祖母と私のやり取りを話せて弟たちと私との対応の差の理由を理解してくれた。理解しあうのに凄く時間がかかるものだ。巻き込んで悪かったねと言葉も貰った。嬉しかった。
祖母も今から思えば長男の嫁とうまくいかず独りぼっちだった。その為うつだったのではないかということも聞けた。
更に父が祖母に冷たく対応したことを、自身の死を自覚した時ベッドの上で母に謝罪したということも今回聞けた。
心が柔らかくなっていく。そんな体験をした。
神社パワーを感じた。
