幼稚園に入る前から喘息を患った。小児喘息。実際は違うのかもしれないけれど、毎日病院に行って注射を打っているような感覚を持っている。夜寝る前息が出来ず薄れゆく感覚の中豆電球に向かって手を伸ばし母を呼んでいる自分もしっかり覚えている。息をするのが苦しかった。

幼稚園に行けたのは年長クラスの一年だけ。それでも息が苦しくない生活が楽しかった。

親戚の入院のお見舞いに行った時のこと。その病室は個室でお花がいっぱい飾ってあった。入った瞬間気持ち悪くなり、息がしづらくなった。

お花の匂いに反応することは気付いていた。旬までのお花は気にならない。でも旬を少しでも過ぎているお花の匂いは少しの我慢が必要になる。でもユリの花だけは花が咲いていたら旬であるかどうか関係なく体に変調をきたす。息がしづらくなる。好きなのに近寄れない。切ない。

ドライフラワーも匂いが気になり部屋には置けない。

プリザーブドフラワーは置ける。匂いも気にしなくていい。二つほど部屋に飾ってあるけれど、生花程の効果はない。普段目に入ってこない。目には映っているのだろうけれど。埃がかぶりやすいのは(うちだけだろうか(^▽^;))そういうことの表れなのだろうと思う。やはり生花とは違う。生花は手を掛けないといけない存在。だから美しいと感じるのか。美しいから手を掛けるのか。この体質が只々残念で仕方がない。

汗のにおい、靴下の匂い、生ごみの匂い(これも嫌だけれど)、ウっとくるけれど部屋を出ていかないと体調が戻らないという程のことでは全然ない。とてもとても残念だ。

通勤時間

ウィークデイの朝は忙しい人が多いと思う。自身もバタバタしている。何かを同時進行させないと間に合わない時は多少行儀が悪くとも口に物を含ませながらも洗濯物を干したり、食器を洗ったりしている(^_^;)。特にごみを出す日は早めに出ないとエレベーターが密になってしまうため時間を逆算して行動しなきゃならない。まるで運動会の様に時間と競走し色々な障害物を乗り越えて動いている。

出勤する時自転車を使うが、運転する前ここからは”ゆっくりね”と自分に言い聞かせている。雨の日に二回程自転車ごと転倒し手足をひどく痛めた経験がある。でもそれでも気は焦る。時間に間に合わないわけでもないのに必死に漕いでいる自分がいる。

先輩に教えてもらった抜け道をここ数年使っている。そこは大きな道路から一本住宅街に入った信号のない道。住宅が立ち並ぶなかにぱっと田んぼが広がっている。ほんのわずかなスペースにあるが、そこが自身のパワースポットになっている。ほっとする。そこだけが開けている。何故か空を見上げたくなる。今日の雲の形はモクモクしているとか、空が遠いとか。田んぼも四季を感じさせてくれる。今は収穫の時期。重そうに稲穂が頭を垂れている。そんな風景が慌しく働きに出る焦った状態の心を穏やかにしてくれる。リセットされる感覚。それがいい。

バーチャル

長く続いた閉塞感漂う緊急事態宣言下、YouTubeで犬猫の動画で何度も癒されている。中でももちまる日記さんのもち様には毎日癒されている。着ぐるみ着た人間が入っているのではないかと思えるくらい感情が豊かだ。テーブルに出された下僕氏のサーモンの刺身を我慢する姿も愛くるしい。実際触れることは出来なくとも確実に癒されるなんて物凄いパワーだ。もち様恐るべし。

BTSの曲やバラエティーを通して透けて見えるメンバーの感情や笑顔にも癒され元気づけられた。占い動画でも自分を癒し内省出来た。スマホやインターネット環境がなければもっと荒んだ毎日を送っていたに違いない。本当に感謝しかない。

だが、通勤途中にある稲穂に癒されたように実際に感じることもとても大切だ。視覚、聴覚、触覚、嗅覚を同時に使うことが出来る。瞬時に感じるとることが出来る。自然をもっと感じたくなっている。

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