コロナが蔓延した頃から自分を自分自身で普段より更に抑圧してきた。映画観に行ったり、LIVE行ったり、ショッピングしたりすることがとても心を充実させていたのだと感じさせられた。
人の弱さや負の感情を見せられて苦しんだ時期とも重なって心が疲弊した。寝られない日々が一年と半年続いたところ体を壊した。
’23
この数年体験してきたことから、”好きなものを好きと言える環境”がいかに大切かが分かった。この文章をみて変に感じた人はコミュニケーションが豊かな温かい家庭で育ったのだと思う。
幼いころから長女として生まれた家では“お姉さんなんだから我慢しなさい”が常だった。日本の一般的な家庭は上の子には大体これが決まり文句なのではないか(今は違うのかな)。
二人の弟とTV番組を争った時不条理にも多数決で決めなさいと言われ抵抗すると車庫や室に入れられた。お菓子も人数分無い場合分けるのではなく我慢した。家族旅行も弟の予定を優先され一人残された。
我慢が身についていて損している気分になって嫌だったから娘にはその言葉を出さなかった。そのせいなのか、娘は長女に見られないそうだ(笑)母としてもそれは感じる。真ん中か末っ子にしか見えない。会社、友人の間では違う顔を持つだろうけれど親の前では”一番上の子”ではなくなる。そういう意味では子育て成功なのだ。甘えるのを我慢しちゃダメだ。
今は子に刺激されている。
仲間
占いが好きと言えば両親、弟の顔が”またそんなこと言って~”と蔑むように言葉にした。感じるものをそのまま伝えただけなのにすぐに否定されたことが自分を隠す一歩だった。
人間は動物で自然の力には遠く及ばないのに何故科学的に証明されなければ存在しないことになるのだろうと訴えたかった。
人の目を気にせず少しだけ言葉に出来るようになったのは仲間の存在だ。先輩だから仲間とも言えないのかもしれないけれど、これまで数度彼女はUFOを見たと抵抗感なく職場で大きな声で表現した。予想通り他の人は”頭おかしくなったのよこの子”とからかう言葉を投げかけた。それにもひるまず言えるのは凄いと思う。
実際自身も一緒に体験したことがある。社用車でのこと。”あれ見て”言われた先見た空に浮かぶ銀色の物体。他の人には見えなかったようだけれど自分にはハッキリ見えた。彼女に”不思議なこと”を表現できる喜びを感じている。
LIVE
コロナ前に娘のチケット争奪戦に携帯を貸したことで行くことになったニッシー(西島隆弘)のLIVE。一緒に行くことになっていた友人は突然葬式が入り結局一人で行くことになって心が後ろ向きになっていたけれど、いざLIVEが始まると独りで寂しいとは全く感じなかった(娘は数か所チケット当たり、友だちと行ったり一人で行ったりしていた)。
彼のLIVEはディズニーリゾートやUSJに行ったようなワクワクを体験できる。その場で簡単なフリを教えてもらい一緒に音楽に合わせ踊ったり、彼が乗った空を浮遊するバルーンに向かって手を振ったり。踊りのお兄さんになり(?)スヌーピーのキャラクターたちとドームを一周したり、セクシーに歌ったり色々な顔を見て楽しかった。時に”おねえ”の口調になっておどけるのが大好きだ。色々な顔を見せて楽しませてくれる。
ニッシーのファンは娘と同世代かもしくはもっと年下の年代だとも思える(LIVE左隣にいたのは高校生か大学生の男の子二人だった)。子どもと一緒じゃないと少し抵抗がまだあるけれど好きなものは好きともっと表現していいと’23は自分に許可しようと思う。
2月5日日曜日ライヴに行く。とても楽しみだ。今日CD、DVDが届いて今勉強している。

素直
”真面目だねぇ”とからかう様に叔母によく言われた。多分何かを選ぶ時だったと思う。生真面目で面白くない、もっと自由でいいのにという意味があったのだろう(叔母の口癖なのか母にもよく言っていて、母は不快感を持ったらしい)。
先輩、同僚、友人たちから何度か“純粋だね”とも言われた。それもプラスとマイナスの両方の意味を込めていると感じた。
お酒を飲んで酔っ払うと素の自分が出てくる。普段言葉数が少ないと自覚する自身でも言葉数がぐんと増える。明るくなる。素直になる。
最近お酒を飲まずに素を出せる方法がないか考えるようになった。そこで頭に浮かんだのが欲求を我慢しないと意識すること。”自然”を受け止めることが生きやすくなる第一歩なのだ。
怒る時に怒ること。じわじわ物事や人を攻めるよりタイムリーに怒った方がいい。泣きたいときに泣くこと。泣かないとストレスが大きくなると勉強した。笑いたいときに大声で笑うこと。嬉しいことがあった時は喜びをちゃんと表現すること。それが相手を喜ばせることにもなるからと思うとハードルが低くなる(#^^#)
女性は我慢が美徳という家庭で育ったから今まではこれがなかなか身についていなかった。でも2023年は変えていきたい。意識するだけでも変化があるはずだ。