一昨日近所の皮膚科でほくろを除去してきた。自費で18,000円と消費税。今はどのくらいの金額が一般的なのか調べなかった。それは先生の腕を知っていたからかもしれない。
流れ
花粉症の影響か二週間前から口の周りがカサカサしてただれてきた。通常より多くクリーム塗っておけばそのうち治るとたかをくくっていた。でもその内ヒリヒリしてきて食べものがふれるとひどく傷むようになってきた。かかりつけ医は昨年末年齢の為閉院した。やむなく昔通っていた美容に力を入れている皮膚科に行った。その医院は歩いて二分かからないほどの距離で通いやすい。通うのをやめたのは患部に触らない先生だったから。
お久しぶりですね!と相変わらずきびきびとスキを与えない物腰で声を掛けてきた(そこが好きなところだ)。患部を見せるとすぐ対応してくれた。今回は手袋をはめ触ってくれた。以前右手の甲に数ミリの出来物がでた時取って貰ったことがある。その時左頬の下にある5ミリほどのほくろのことを相談していた。今回もちょっと何とはなしにそこに話を触れたとたんかぶせるように”8年前もその話聞きましたよ~同じ話ですよ~”と笑われた。自分も笑ってしまった。8年間もずっと同じこと感じながら鏡を見ていたんだと。
一週間後患部を見せにいらっしゃいと言われたからその時までにほくろのことは考えようと思っていたら、支払い終わって医院を出て十数歩行ったところで受付の女性が追いかけてきた。
”次の予約をお取りしたいのですが、CO2レーザー枠を押さえたいのですがいつがよろしいですか”とほくろ除去を受ける前提で話してきた。戸惑った。決めたわけじゃなかったから。でも8年以上前から同じようなこと繰り返していた自分が滑稽だったし、勢いが必要だと思ったし、眼瞼下垂手術を受けた時同時に除去する予定だったし、体調を崩した時死ぬまでしたいことリストにそれは載っていたこともあって( ゚Д゚)ハァ?と思ったけれど流れに乗って予約を入れた。
決めたもう一つの理由
眼瞼下垂手術と同時に行なおうとしたほくろ除去手術。なぜ止めたかというと先生がレーザーではなくメスを入れさせてくれと言ってきたから(レーザーは傷は目立たないがほくろは消失してしまう。メス切除だと検査に回せるが皮膚に傷が残る)。ほくろを組織検査に回したいとのことだった。6㎜以上だとメラノーマを疑わなきゃならない。大きさはギリギリだ。形はいびつではなくメラノーマじゃないと思ったけれど100%じゃない。今回も迷った。でも8年前からほぼ形や大きさは変わらないのを知っているのは近所の先生だけだ。8年前もほくろだよと断言していた。そういう経緯があって先生を信じることにした。
当日
診察室へ入って1分後パーテーションで区切られたベッドに案内され術前の説明が看護師からあった。少し高圧的?な話し方だった。子どもに話してる感じが気になったけれど、術前の緊張の為従順に従った。
ベッドに寝るとほくろの上をアイシングした。暫くすると頭上のカーテンからパッと先生の勢いある声がした(何故かホッとした)。ほっぺたを握り(ほくろは唇より斜め2㎝程上部にある)、麻酔をほくろの周りに打った。針が細いから通常よりは感じないと言われたけれど最初のひと針目は結構痛かった。二針目からは麻酔が効いていてあまり感じなかった。
麻酔が終わったら暫く時間を置くのかなと思っていたらすぐに始めた。歯医者感覚でいたから驚いた。痛かったら教えてくださいねぇと声を掛けられたけど、そんなことあっちゃ困ると心で叫んでいた。眼瞼下垂手術の時も途中痛みを何度も感じて先生に声を掛けた。その度に先生は動揺した。こんなこと開院以来初めてだ、これ以上麻酔をかけることはできないと言われ術を端折られた感じがした(確認はしていない)。
30代前半外科外来で局部麻酔で首筋を切ったこともある。その時は術半ばにピリピリ痛みを感じ始め先生に声を掛けた。この先生も動揺し看護師に麻酔を注文、周りの看護師は用意していなかったらしくバタバタと頭の上で慌ていた。それ以上に慌てたのは本人だ。声を掛けてから探すことってある?嘘でしょ?!と心の中で叫んだ。そんなことをその言葉で一気に思い出してしまった。
途中ちくっと痛みを感じたけれどもう一度同じように感じたら先生に伝えようと決めた時、先生がもうすぐ終わりますからねぇと声を掛けてきた。5分はかからなかった。先生はさっとカーテンに姿を消した。看護師に”先生凄く早いですね”と声を掛けた。彼女はそうなんですと誇らしげに答えた。
予約した時間は午前10時。術後少し安静にし、アレルギーの薬が出たからそれを薬局に貰いに行って帰宅したのは11時前だった。
スッキリ
帰宅して心が軽くなっているのを感じた。
やりたかったことを実行すると気持ちがいい。何年も実行しないでいたのにも意味があると感じた(この場合メラノーマではないだろうと自分で思えたこと)。今回の決断を納得した形で勇気をもって出来たこと、嬉しく感じた。