存在するだけで安心できて心の底からぽかぽかしてくる。それが祖父だった。
食卓
家族で食卓を囲んだ時の話題は、時事問題、親せきの話、経営の話で大体終わる。学校での出来事、友達の話等、子どもの話はほとんど話題にならなかった。つまらなさそうに映ったに違いない。急にどら焼きが空を飛んできた。祖父が渡してくれようとしたのだ。どうして物を飛ばすんだろうと最初は思ったけど、すぐに祖父の愛情をたっぷり感じるようになった。
友だち
幼馴染や友達が遊びに来たとき気を遣ってくれるのは祖父だった。必ず祖父が煎餅やお饅頭を提供してくれた。ポテチとかチョコじゃないところが小学生の時は抵抗あったけれど、毎回運んできてくれるのを待つようになった。
差
端から見ても祖父が大好きだと分かったと思う。
二回ほど母に”祖父の一番の孫は一番下の弟だ”と言われたことがある。わざわざ表現する必要があるのかと、祖父と自身の間にある信頼や感情を外から評価する神経に憤りを覚えたことがある。
最近はどういう意図があってそう表現したのかを冷静に見つめられるようになっている。反面教師。そして祖父との思い出にそれを加えないために。
スキー
家族で、時には親せき大勢でよくスキー場に出掛けた。雪山で祖父はドラえもんみたいにポケットから色々なものを取り出した。寒い中で癒しの時間になる。キャンディ、キャラメル、ティッシュ、スキーワックス、絆創膏…
穏やかに話す。何が欲しいんだ。そうか。滑らないのか。いいぞ、その気になるまで待つぞ。一言一言が心地好かった。
スキー場に向かう山道でホワイトアウトを経験し、雪に車が突っ込んだことがある。動揺したが、祖父の一言”大丈夫だ”で皆落ち着いた。
スキーを担いでゲレンデ脇を登ることが多かった。リフト代をケチったわけじゃないと思う(当時はケチだなぁとブツブツ文句を言いながら登ってた)。自身のストレス発散、子ども達の心と体を鍛えるためと思ってのことだろう。でも、父のガツガツした後ろをヒーヒー言いながらついていくことがとっても苦痛だった。そんな時祖父が自分のペースで淡々と登る姿を羨ましく思った。
父が急にスキーに行けなくなった事があった。車ではなく汽車でスキー場へ向かうことになった。姉弟とも小学生の頃だったし、四人で出かけることは初めてだったので、祖父をめちゃくちゃ困らせた。祖父のあまり説明しないところが自身を更に不安にさせた。お金は足りる?もうすぐ汽車降りるんじゃない?乗り換え大丈夫?忘れ物はない?質問攻めの旅行になった。でも祖父は不機嫌にはならず、大丈夫だ。心配するなと。
人と比較せず、どんな自分も受け入れてくれる。そんな祖父が大好きだ。
詩吟
祝いの席でよく詩吟を披露してくれた。ハスキーだけれど高い音が頭から出てるような感じ。声が部屋中響き渡って清められるようだった。
内容はよく分からなかったけれど何故かいつも涙が出てきた。今も思い出すと涙出てくる。祖父を思い出すと”少女”に戻る。ずっと生きていて欲しかった。