過去数年間数トライし続けていたことがある。目標は達成できなかったけれど経験出来て良かった。苦しい時もあった。しかしその過程が重要だったとも思う。自身が子どもの頃に意識しているよりも深い傷を負っていることに気付けた。

子どもの頃の痛み

幼稚園に入る前(年長から入った)の数年、小児ぜんそくで治療を受けていた。夜お布団の中で横になりながら母を呼ぼうとしていたことを覚えている。ボーっとした橙色の豆電球に向かって手を伸ばしていた。呼びたくても声を出せなかった。吸っても吸っても苦しくて…だからか母にべったりだった。

小学校の時は自己主張していた。バランスがおかしいこと、役割以外で男女の差があること、意見交換をせず、それが適切ではないと思えることも慮ることが美徳とされること。自身からすれば違和感でしかない。中学後半からは諦めていった。

自身も親になって姉弟を比較しそれを表現しないように注意している。しかし憤ったときにはぽろっと出る。反省している。フォローもしている。親と暮らしていた時は気を遣われたことはないと感じるくらい日常にあった。

そういう自分の感覚と甘えたい性格が家族との距離を開けていったと感じる。

自分肯定感の欠如

人に合わせる生活。顔色をうかがう生活。それが当たり前、意識になかった。子どもの友人関係、成績、進路、ママ友との情報交換。毎晩遅く帰る夫の世話。それが自身の役割と思った。又、幼少期寂しい思いをしてきた経験を子どもにさせたくなかったという思いもあった。だから自身の求めていることを気付かないようにしてきた…と思う。目の前のことを一生懸命こなすことにあえて意識を向けるようにしてきたように思う。

二十代後半、子どもを授かる前夫の転勤先で就職したいと主張したことがある。”自分と同じ収入を得るつもりか”と言われたことがある。どうしてこのように言われなきゃならないのかと憤りを感じた。悲しかった。

子育てがひと段落したとき仕事に出たいと申し出たとき”俺の稼ぎでは生活できないのか。やめて欲しい。”と言われた。それに何度か屈してしまったこと、悔やまれる。

最後は何も相談せず、面接に行き仕事に出た。ここは自分も評価している。

自分の人生の主役は自分。脇役になるなんてとんでもないこと。色々な書物、映画に接すれば理解できるが自分に具体的に当てはめたことはなかった。彼女に出会って変化していった。

出会い

一緒に仕事をしようと誘ってくれた人がいる。結局資金等の問題もあって自身が決めきれなかったことで目標を達成できなかった(彼女は別のパートナーを見つけて活躍している。良かったと思っている。)。彼女と交流することで幼少の頃の傷、自己肯定感の低さを自覚できた。とても感謝している。

このブログを通して家族や友人、同僚のことに触れていくことで自己を見つめ直し、癒し、自己肯定感を高めていこうと思う。