祖母の話。
比較
外側を大切にする人だった。体裁や外見を気にする人でとても抵抗を感じていた。明治生まれはそれが普通のことだったのかもしれないと思うと心が和らぐ。
中学一年生になったばかりの時、友人たちが家に遊びに来てくれた。玄関先で祖母が対応してくれていた。家に上がってもらうタイミングで成績優秀な友人に、”○○さんは本当に優秀と聞いているよ。それに比べ●●(自身)は成績がね…見習ってほしいわ”と背中に投げてきた。友人を立てるために身内を落とす。その感覚が嫌だった。反抗期に入っていたこともあって、カチンときたまま”うるせーくそババア”と毒を吐いた。
上の子どもが3才位の時からだと思う。交通費はどうしたんだ自分で出したのか。息子が出したのか。もう独立したのだから自分で出しなさいよ。と何度もしつこく実家へ帰るたびに伺うような蛇のような目で話しかけてくる。鬱陶しかった。息子に知られずにコントロールしようとする感覚が本当に性に合わなかった。なぜ親子の問題に首を突っ込んでくるのか。実の息子に苦言を呈するのが筋だ。万事がそんな人だった。気持ち悪かった。
努力家
若い時から英語に触れていたようだ。座学ではなく実際に交流があったみたいだ。そのこともあって晩年も英会話の勉強に精を出していた。文法の知識や語彙力はなく何度も同じ質問を母にしていたが、実際外国の方とお話を上手に繋げていけるのは祖母だった。尊敬できることのひとつだ。
着物
外出する時にいつもではないが着物を着ていた。おしゃれな人だった。着こなしも所作も美しかったが特にセンスを感じたのは着物の色、柄の選び方だった。亡くなる直前まで肌が透き通るように白く額以外のしわは目立たない人だったので、淡い色の着物がよく似あった。薄ブルーグレー、ベージュとレモン色の間の色の着物、大島紬の様にシックなものまで様々な自分に合うものを楽しんでいた。真似できない才能だ。
相性が良くないと自覚しているし母を虐げているという意識があったから普段からあまりしゃべらなかったが、着物を着た時は本人にどうしても素敵だねと言わずにいられなかった。肌もその美しさに触れずにはいられない程だった。
センス
努力してもどうしても届かない才能がある。
トールペイントを習ったことがあるが、筆先の使い方や一筆で描けるセンスは真似しようと思っても出来なかった。
水泳では三年間どうしても勝てなかった人が二人いる。違うトレーニングをしていたのかもしれないが、そうであってもそれをこなそうとする時点で差がある。
祖母には色々感じるものがあったが祖母の色を選ぶセンスは自身には到底叶わない。そのセンスが遺伝して欲しかった。
やっと自分に集中できる環境が整いつつある今、自身に宿るセンスはないか探求中だ。