幼い頃喘息に苦しんだ。それで薬漬け?の日々を過ごしたからか、もともとなのかは分からない。気が緩むのかすぐ口が開いて呆けたようにボーっとしていることが多かったと思う。口を閉じよと注意を受けたこともあるww流れに身を任せるようなところはあったけれど、決して呆けてはいないwwでももしかしたらそれが人にぼやけた印象を与えている原因の一つなのかもしれない。

職場

仕事上気になる事は勤務したころから伝えていた。最初は先輩方にとって細かすぎたみたいでウザがられていた。気になる事は伝えてねという癖に(;一_一)(笑)お客様商売なのだから細かいことを共有して問い合わせがあった時迅速に対応した方が信用を勝ち取ることが出来ると思い社内の思いがどうであろうとかまわず伝えていた。

最近ウザがられながらも伝えていて良かったなと思えることが多くなってきた。

仕事で時間や同僚との仕事量のバランスを考えながら行動しなければならないところを以前は、”気になる事”に集中したためバランスを欠くことになり仲間からブーイングを受けていた(クレームは少なくなったと思うが)。そこでなんとか仕事先と仲間とのバランスを取りながらも両方の信用を勝ち取ることは出来ないか工夫をした。行きついたのは基本中の基本だった。情報をその場で共有し責任者に判断してもらうことにした。制限時間がある中これをするのは簡単ではない。その時間すら惜しい。それ位追い詰められる。でも、実践することでこの悩みが解決しつつある。

少し前、クレームになりそうなことを感じ取り二人の先輩とその場で相談した。人数も少ないからそこは次回解決しようと判断してもらいそのままにして仕事を終えた。後日、案の定クレームがあった。でも情報共有していた為スムーズに対応できたらしいのだ。らしいというのはそれは丁度自身が長期休暇(眼瞼下垂術後休養のためのもの)を取っていた時だった。そんな時も一度も携帯が鳴ることなく過ごせた。以前なら鳴っていた。別件でもいくつか同じ様なことが続いた。仲間とも仕事先でも信用を得ることが出来つつあるように感じる。仕事先へ行って気になったことがあったかと聞かれるようになった。自身の感覚が役に立って嬉しい。

3月末に受けた眼瞼下垂手術で気になったことを書こうと思う。

術後三点ほど気になった。一つ目は麻酔があまり効かないこと。先生はお酒に強い体質が影響しているかもと教えてくれた。もう一つ原因があるのではと実は密かに思っている。10代は瞼の裏にできた脂肪の塊を数回除去し、30代には外来で首に出来た脂肪を切った。40代前半で痔の手術を経験した。ここまでは局所麻酔。でも40代半ばからは胃カメラ、大腸検査等で静脈麻酔を何度か受けた。お酒もあるのだろうが、静脈麻酔の使用頻度が比較的多いのも影響しているように思っている。

<余談だが…職場の先輩に眼瞼下垂術を整形目的とどうしても思ってしまう人がいる。4日程前その先輩に、“そのうち顔全体整形してしまうんじゃない”とからかう様に言われ、心の中では憤慨したけれどそれ以上質問されないようこう答えている自分がいた。”麻酔効かない体質みたいだからそれはないです。大病の時に取っておきます。”>

二つめは瞼の形。左右差が半端なかったから心配になった。前の方が良かったと後悔ばかりしていたのはそれも原因だった。今は先生の言う通り左右差は多少あるけれど自然になってきた。実はこの手術で自分を知った。右の黒目が少しだけ中央に寄っていることに初めて気が付いた。先生はそれに合わせてくれていたのだ。やはり凄腕なのだ。

三つめは視力。左に大量のそれも濃度の濃い麻酔を打ったのにその影響は少なく、右目の腫れがひどく、視力が落ちた。理由の一つは術後目を閉じても閉じ切れないことにあったと思う。眼球一部が空気に一日中直接触れることになった。先生はそれはやり方の一つなんだと説明したけれど左目はしっかり閉じているよ~先生~と突っ込みたかった。質疑応答の時間を与えない程せっかちだし又患者の人数は半端ないから忙しいことは理解できるけれど安心させて欲しい。今思えば右の黒目の位置のせいだと理解できるが、その理解を患者任せにしてはいけないと思う。時間の経過が納得させるのに必要だとしてもだ。

もともと右目だけドライアイなだけに心配になった。そのうち擦りガラスから外を見てる感じになった。以前大きな病院で涙腺の出口に器具を装着してもらい常に涙を出して角膜の傷を治したことを思い出した。専門医にみて貰ったわけでもなく素人判断するのは危険なことだが、眼科へ行って瞼をひっくり返す気持ちにはなれず、人口涙液型点眼剤を日に何回か点眼していた。抜糸から少し前まで点眼し続けていた。今やっと違和感が薄れてきている。点眼を忘れるくらいになった。目の腫れも少し良くなってきているのも影響してると思う。視力が戻ってきた。

気付いたことが出てくればまた記していきたい。

根底

幼いころは特に自分の気付いたことは当然親は気付いていると思っていた。でも全然親は気付いてなかった。それを知ったのは自分が親になって暫くしてのことだ。

誕生日などの何かのお祝い事があった時三人姉弟で親や祖父母に楽しんでもらおうと自身が企画し中心になって寸劇を考え演じていた。まとめていた。でも親は陰で動いている姿を見ていなかった。大人になってそれを知った時はかなりショックだった。

自分が気付いたこと=人も気付いていることと勘違いしないこと。親は完璧な存在と思っていた子ども時代の感覚がそう思わせていたことにやっと気付いた。人生もあとわずかというこの年齢になって初めて自分に自信がついてきた。トラウマというのはやっかいだ。やっと抜けつつある。気付いたことを表現することで誰かの力になれればうれしい。