最近芸能人の事件で作品の公開が延期されたり、CM降板になったり騒がしい。とても残念だ。親の自殺を幇助したかもしれない自殺未遂の市川猿之助氏、大麻所持で逮捕された永山絢斗氏。それにより映画公開延期が決まったりしている。どうしても公開して欲しい。作品には罪がないと考える一人だ。
連帯責任
ある一定の団体には連帯責任は必要に違いない。対象に壁を作るには複数人の統一した強固な意志が必要になってくる。自衛隊、警察等。頭にスッと浮かんだのはTVで数回観た集団行動なるものだ。一糸乱れぬ行進をぶつからずにすり抜けるさまは美しい。日体大の集団行動は神業レベルだ。練習風景をやはりその特集で見た時、一人一人に連帯責任を植え付けないとそれは完成させられないことが分かる。
愛と青春の旅立ち(古い映画だがふっと頭に浮かんできた)、G.I.ジェーン、永遠の0等の映画を観ても軍隊での連帯責任はその組織での”自己成長?”には不可欠にも思う。実際体験したわけではないけれど考えてみれば大きな目的には必要なことのひとつなのかもしれない。
今回のことはこの時代にそれを適用する必要があるだろうかと強く感じ、このことについて書きたくなった。確かに一人の起こした行いで対応が揺らぐのは仕方のないことだ。只それで他の人が汗水たらして作った宝をゴミ箱に捨てていいとは思えない。”右倣え右”の号令の下連帯責任を問う戦時中の厳しい規律を連想させられる。行きすぎるともはやそれは病んでいるとしかいえない。何でも”過ぎる”のは良くない。
ある一定の境界線は必要だけれど、みせしめのように大勢で切り捨てる行為は見たくない。罪を犯した人は罪を認め償う必要があるが作品には罪がないと別々に考える必要があると痛切に感じる。
ゴシップ
広末涼子氏のW不倫が報道された時は昔ほど驚かなかった。人を好きになるのは自由だ。責任は自分たちが取ればいい。周りが騒ぎ立てることではない。自分の鬱憤をすり替えて騒ぎ立てていることを自覚した方がいいと感じる。責任を取って謹慎処分とあるけれど高校生じゃあるまいし。サラリーマンが不倫したとき会社から謹慎処分を言い渡されるだろうか。
謝り方が軽すぎるとかTVのワイドショーでタレントが言っていた。迷惑かけられたのはあなたですかと問いたくなる。子どもが可哀そうだとも別なタレントが言っていたけれど、それならば話題にしない方が一番いいとは思わないのか。言動が一致していない。
彼らは交換日記をしていたと今日知った。誰がそれを公開したかは不明だ。信用できない人たちに囲まれていたのだ。日記の存在を知っているということはそれだけ近しい間柄と推察するが。
そこには一緒になりたいと記述があった。本気だったら形になるのだろう。
幼少期
これだけの連帯責任への拒否反応を自分の中に感じるのは一度だけではない。こういったニュースで巻き起こるタレントの無責任な言動やそれに同意を求められて忖度する後輩タレント、教師による生徒への暴力、権力を傘に着る上司が起こした問題等への感情の昂りは異常だなと自分を顧みた。
生い立ちにその理由があるのではないかと考える。絶対権力の父の元高校卒業まで過ごした。幼少期から自分の考えと違う行動をとると理由を聞かれることなく叩かれ、車庫や室に閉じ込められた。小学校入って間もなく思い違いから文鳥を死なせてしまったことがある。それを連帯責任だと言って悲しくて泣きわめく幼い我々姉弟を強く叱った。父には感謝はしている一方、そういった環境が連帯責任や一方的な考えで判断を下す人に拒否反応をしてしまうのだと自己解析した。