先入観は静かに自分に入ってきて”道”の選択に影響を与える。

コロッと作者の意図に簡単に乗せられた作品が東野圭吾氏の「悪意」だ。20年以上前の作品だ。何年経っても心に響くのは人間関係で時代が変わってもそこは変わらないからなのだろう。

もしかしたら世間を騒がせている芸能人の人間関係も”本当”からは随分見当違いなことがニュース記事になっているのかもしれない。我々は振り回されているのかもしれない。

この話の軸は犯人捜しではなく、いかに先入観に影響されるものか、妬み嫉みから生まれる悪意がどれだけ醜いか、それを向けられた者の無防備さがどれだけ恐ろしいかが表現されている。防御するアンテナはどのように張ったらよいのだろうと考えさせられた。運が悪かっただけでは割り切れない。理不尽さが一番心に残った。

この本に興味を持った人はどうか以下の感想を読まないで欲しい。ネタバレしてはこの本の真意が心に刺さってこないはずだからだ。

”手記”

物語は作家の手記から始まる。それが後になって意味が分かった。

この手記が頭にこびりついた。そこには日高が庭に来る近所の飼い猫を毒団子で殺したことを躊躇せず幼馴染の野々口に告げているシーンが表現されていた。何げなく日高の人間性が表現されていた。

作家として成功者とその恩恵を受けている幼馴染ということでそこに差が生じていることが原因なのか野々口が日高に気を遣っているのが文章から伝わってきた。

高圧的な人より気を遣っている人に心を寄せる傾向にあると自覚している。特に幼馴染や同学年に対して社会的地位が高い人がそれを誇示する人を尊敬できない。動物を簡単に殺傷するならなおさらだ。生理的に合わない。その感覚が偏った思い込みを生んだ。人間まだまだだなと反省した(≧◇≦)

序盤で日高は自宅で殺された。読み進めると程なく犯人は野々口だとど素人の自身でも分かった。動機は永年に渡るゴーストライター生活に嫌気がさしていたことだ。その”ゴーストライター”は実際この本で表現される前から頭に浮かんでいた。作者の意図通り導かれた💦

きっかけ

中盤日高の前妻初美と恋仲になったことが野々口の手記にあった。教職時代同僚だった加賀刑事がその裏付けに奔走した結果手記通りそれを示唆するような写真が出てきた。自身はこの時点で序盤に記された日高の人間性もあって野々口に肩入れしていた。初美の死は日高が企んだ死か心を病んだ後の自死かと妄想してしまったほどだ。

読み進めると事故死に間違いがなさそうなことは分かってきた時腑に落ちなくなった為か後半ではあまり重要視しなくなってしまっていた。物語を解き明かす大きな指標の一つなのに。刑事の素質ゼロだ(≧◇≦)

運命

加賀刑事は動機、物証、証言が揃っている為上司が操作の打ち切りを示唆していたのに半ば強引に調べた。

そこには彼の教師時代の経験が影響していた。教師として正義を貫いたと思っていた。いじめられていた生徒を守ったと満足していた。でも卒業式後いじめた同級生にぼこぼこにされ、結果その相手を刺した生徒に守ったはずの自分が一番会いたくない相手とされたことに衝撃を受けたという経験だ。表面的に波風経っていない状況を解決したとした自分に満足した結果が招いたことだと後悔していた。それが今回の一見解決した事件を執拗に調べた理由の一つとなった。

この戒めを持つ元同僚が刑事として前に現れ担当者となったのは運命としか言いようがない。滅多にないことだ。

これは物語の上でのことだが自身も滅多にない出会いをしたことがある。この展開、実際にあり得ないことではないと思えた。

周囲の話

本やドラマ、映画等で真実は人の立場や考え方で違いがあると勉強した。アニメ、江戸川コナンの”真実はいつも一つ”というセリフがあるが、真実と事実の概念の違いに気付かされてからはそれまで真実を嘘や誤魔化しを暴くという意味と単純に捉えていた自分の脳に変化が起こった。真実はそれぞれの人にはやはり一つなのだ。

日高と野々口の中学時代のクラスメイトからいじめの中心人物と絡んでいた人、野々口の高校時代の友人へ加賀刑事がインタビューしていくのだがそれぞれの真実とは人によって大きく違っていた。その中に日高が当時のいじめっ子藤尾に絡まれても動じなかったという話が出てきた。毒団子で猫を殺したと話す日高の人間性とのギャップを感じた。でもそれは自分の先入観をひっくり返すほどではなかった。最初の印象は本当に大切なのだ。

どんでん返し

加賀刑事の解明編で全貌が明かされた。

中学時代に起こった野々口にとって忌まわしい過去(女性か絡む刑事事件)を日高が知りながらも(藤尾の腰ぎんちゃくとして日高本人をいじめていたこともあるのに)再会後それには触れずにいた。更には彼が望む作家への道を開いた。普通は恩を感じずにいはいられないはずなのに自分の命の期限を知ると奥に渦巻いていたであろう”悪意”が殺人へと導く。

理解不能だ。

不倫からのゴーストライター強要が殺人の動機だと見せかけるようトラップを仕掛ける。その真意は日高の人間性を貶め、彼の功績を乗っ取ろうとすることだなんてプライドが無さ過ぎだ。どんだけ人が悪いのだろう。恥を知れと言いたくなった。胸が悪くなった。

最後の最後に加賀刑事は野々口の母親の偏見に触れる。持って生まれたものが人の行動に大きく左右するのだろうが母親の言葉によって子に先入観を与え、それも影響したのかもと加えた。だとしてもだ。

心に残る作品の一つとなった。

<以下余談>

この本を読み終わった直後頭に浮かんだ人物がいた。今の職場の先輩だ。

10年間程彼女と仕事をしているが何度か人が悪いと思ったことがある。

野々口のそれとは程度も内容も違う。陰口をたたく人はほかにも多数いるからそれがそう感じる原因ではない。

頭を整理した。

彼女は仕事上問題が発生すると自分が元凶でも都合が悪くなれば雲隠れする。結果その問題は自ずと同行した他の誰かのせいになる。一方頑固で自分のやり方を後輩に強要する。それがピント外れたことも多い。時に雇い主の意向とかけ離れたことになったりする。

他の先輩、同期、後輩が話すこと(陰口に相当するが💦)をトータルすると承認欲求が強いこともその言動に大きく影響しているが彼女の奥には”ケチ”の性質が軸になっていると感じる。

自分より多く働いている人のことを良く思わないようだ。例えば閑散期に会社が突然”休める人”を募集することがあるのだが、休むつもりもない彼女が休め休めとうるさくまとわりついてシンドイと別な先輩がそのイライラを吐き出していた(自身も絡まれうんざりしたことが何度もある)。また、自分の時給を伸ばすために後輩を教育と称してレッスンをし(それでいて当人にやらせることはなく自分でやってしまう。後輩は意味ないとバッサリ言い切っていた)、30分予定の時間をオーバーしたことが最近あった。この件に関し、ある人には教育に時間を掛けたと言い、ある人には時間が遅くなったのはその後輩の仕事が遅いからだと伝えた(自身も新人の時その空気を感じたことが何度もある)。話す相手によって内容を変えて伝えているのが事実に近いようだ。その場はしのげても後で分かることなのに何故誤魔化しと取れる言動をするのか。知性が低いのだろうか。このようなことが彼女のシフト日には必ずと言っていいほど起こり心がざわつく。更衣室では陰口が多くなり居心地が悪くなる。

結局自身も彼女の陰口をここで叩いているのだが実害に合わない限りはよほどのことがない限り職場で陰口叩いてないからこの場は許して欲しいと思う。これで来週の仕事も心をリセットして迎えられそうだ。