一昨日母と電話をした。咳をしていた。疲れた時よく出る痰が絡まない乾いた咳だ。気になった。
忘れ物
実家に忘れた息子のズボンを母は彼の自宅に送ってくれた。お菓子付きだから彼の心が温まったようだった。LINEでお礼の言葉を送ったらしく(直接電話して欲しかったが)、そのやり取りの後に来年も行きたい旨を告げたらしい。母はそれに対し、年齢が年齢だから来年は難しいと答えたそうだ。実際今回の旅行で腰の調子が悪くなったようだった。それを一言も深刻に言わなかった。今になって余計に心配になった。
腰は専門医に任せて喉へのアプローチとして取り敢えずトローチを送った。電話で助言しても99%自分で買いに走らない(ましてや病院へかかることもしないだろう)。基本申し出を受け取らない人なのだ。特に子どもの言うことは初めから疑心暗鬼だ。しかしながら、物を強引に送り付けるとトライする確率が上がる。電話でもしつこく説得してみようと思う。
母と”同じ声”の自身は咳の性質も似ているから多分これは母に効く。疲れると乾いた咳がよく出てくる。仕事で接客することもある自身は必ずトローチを常備している。その”気配”を感じる時点で舐める。それでも一日の服用数が決められているから続けて飲むことはできない。接客以外は何とか咳をしないよう堪える。そうしているうちに咳をしなくなる。トローチを飲まずに治すより早く咳が治まる。その体験をトローチが到着の連絡があった時点で母に話そうと思う。
連合軍
姉弟三人のLINEは少し前からある。ただそれが今まで全く動かなかった。今回旅行後他愛のない内容で(笑)動いた。
母が高齢でこれから介護が必要になってくる。それに向けて今回弟たちは意思疎通が今後必要だと思ったのかそのLINEが稼働した(弟たち二人のLINEはあると思う)。
母と近い距離に住む一番下の弟のパートナーは母の介護に関与しないだろうことを父が倒れた時から決定的に感じた(年末正月と全く顔を出さない。それを徹底していた。過去二人に何かあったことは想像に難い)。考えてみれば当たり前のことだ。昔の日本は嫁が義父母を世話するのが当然と縛ってきた。実際おしめを変えて貰ったのは人に寄るけれど実の子だ。男女問わずその子が率先して実の親を専門家の力を借りながらも介護をするのは当たり前だ。
これから姉弟三人で力を合わせ、助け合いながら進んでいこうと思う。墓参りで三人集まったのはもしかしたらそれを促す為の”父の意志”だったのかもしれない。
浄化
20年後母が健康生活を送っている確率は非常に低い。明日何かが起こるかもしれない。そう思っても過去に母に傷つけられた出来事も記憶から消せない。実際これからもあると思う。だからか一度張った境界線を外せない。心の奥にある”子どもが持つ純粋な母への気持ち”を再び裏切られることが怖いのだ。
一方では心のどこかで愛されたい願いを止められない。不思議なものだ。今回の旅は生まれて初めて母を独り占めできた旅だったのかもしれない。文章をまとめながら出てきた言葉に自分が今驚いている。