メルカリで数冊まとめて古書を購入した。高校生の時によく読んでいたアガサ・クリスティーのミステリー小説を何故今また読み始めたくなったのか。本屋で購入した「春にして君を離れ」の余韻が非常に良かったことが大量購入の理由なのかもしれない。でもこの「春にして…」を何故選んだのかは良く分からない。心が荒んでいたのかもしれない(笑)

衝撃

1935年に発表されたこの作品は当然当時の共通認識で描かれたものと思う。その中のある表現に”痛たたぁ”となった。

アンドーヴァーでおこった最初の殺人の被害者アッシャー夫人の形容に多く使われた言葉“老女”だ。彼女は60歳近いとあった。まさに自身と同じ年代。ショックだ。老女のイメージは白雪姫に出てくる毒リンゴを渡したおばあさん(魔女)なのだが(^▽^;)

当時の認識とは違うと考えていいのだろうか。そう思いたい(笑)

ヘイスティングス大尉の記述ではない

読み終わるまでこの章のタイトルが何を意味するのか正直分からなかった。ネットで感想のサイトを見ると、”ヘイスティングス…”もジワルと記述があった。何がジワル?と暫く分からなかった。それだけその推理にのめり込んで先に先に本を読み進めていたのだろうと思う。でもその意味が分かるとそこに新しさを感じた。まさにジワッた(笑)

会話

”隠しごとのある人間にとって会話ほど危険なものはないんです””話をするというのは人間に思考をさせないための発明なんです”

会話にそんな深い考えを持ったことはなかった。でも考えてみれば言葉を本能で放ってその反応で相手の本当の気持ちを感じたことは何度もある。切羽詰まった時に放つ言葉は本能そのものだと思うけれど、意識していなかっただけなのかもしれない。

ポアロはそれを意図的に使い相手の嘘を見抜く方法としてヘイスティングス大尉に説いていた。無意識下のことを文字にしてもらい己を客観視出来たように思う。

手相

新鮮だった。手相が小説に載せるくらいイギリスのその時代にも浸透していたと思っていなかった。勉強不足なだけなのだと思うけれど(笑)調べたら手相の発祥地とその時期はインドで4000年以上前なのだとか。中国発祥と認識していたからこれも新鮮だった。文献読んで詳しく調べたわけじゃないからそれも不確かだけれど兎に角刺激された。

手相は統計だ。占いとひとくくりにしてはいない。でもあくまで個人の認識だ。

直感

アガサクリスティーの作品を高校時代は異国の雰囲気を憧れを持ちながら推理を楽しんできた。”あら、よろしくってよ”というような言葉をその時代のイギリス人は日常に使うのだろうかとか思いながら。

でも今は人生後半。色々な経験を積み重ねてきた影響か作品からこぼれて落ちてくる人間の業を感じたり、哲学的なことを何となくつかみ取ろうとしたりしてる。本筋の脇に鏤められているいる”教え”を感じ取っている。自分にとって答えみたいなものが転がっていることに感動した。意識にあっても言葉にしていなかったことを文字にしてもらって再認識し自分を肯定できた。

今回の作品では、

”しばしば直感と呼ばれているものは、じっさいは論理的な推論もしくは経験にもとづいた印象なのです”(P371 )。それは決して霊感ではない、当て推量ではないともあった。

この言葉は自分に自信を与えてくれた。しょっちゅう直感を使うから(笑)

この作品では更に”直感はバランスのとれた、理性的な精神のなかには、直感というものはありません”とある。この通りだとすると自分は常にバランスが取れず理性的ではない生活をしているということになる(笑)

次の作品ではどんなことを教えてくれるのかワクワクする。

今回アガサクリスティーの作品を愛読する理由の一つを見つけられた。嬉しい。