久しぶりに友だちから連絡きた。近々会う予定だ。

時々ふっと思う。友だちとはどんな定義だろうと。記していて違和感あった。頭の中でごちゃごちゃ考えてストレートに受け取れない自分がいるが、久しぶりに会って彼女と話すと少し発散した気分になれるのは確かだ。

幼馴染 

幼稚園から高校まで同じ学校だった幼馴染。同じ大学ではないものの同じ地域だったから交流はあった。幼い時はぼーっとしていて余り感じなかったが大学に入り、周りの環境が違うことで彼女の自身に対しての失礼な対応に気付けた。大切にされていないことを傍にいた親友にきづかせてもらった。感謝しかない。こちらから縁を切った。その時決断出来て本当に良かった。(家族ぐるみのお付き合いだったから後から少し聞こえてきた。彼女は語学留学ではなく受験しアメリカの大学に入り直した。日本の一流企業に就職したが何故か今は派遣社員。独りで生活しているらしい。でもそれも10年以上前の情報。今現在はよく分からない。)

残念なのは幼稚園から高校まで彼女と一緒だったからそれ以外で友人を作るタイミングに気付けなかったことだ。ただ、高校生の時喧嘩した人とは彼女が癌で亡くなるまで交流できた。自身にとって本当の友だちだと思う。幼馴染と登下校一緒だった自身に声を掛け続け、喧嘩もし、大学で離れても手紙をくれて、帰郷した際には遊びに来てくれと誘ってくれ何度か遊びに行った。今も彼女は自身の心に住んでいる。

おじさまと猫

小学校からずっと傍にいてくれるような友だちがいる人を羨ましく思う。

ある本にであった。職場の先輩から借りたマンガの”おじさまと猫”だ。穏やかで純粋で優しさが滲み出てくる神田先生(おじさま)と愛猫ふくまるとのふれあいが軸のお話だ。とても心が温まる。ふくまるが可愛すぎる。ふくまるが心の支えになっている神田先生の姿がまた可愛い。

惹きつけの法則なのか、神田先生の周りには同じように優しい人が集まってくる。そうじゃない人も登場するが、そうなっていく。

小学校からの親友小林が傍との交流シーンが好きだ。真剣に心配してくれる。信頼関係がないと言えない言葉をぶつけられる。本当に羨ましい。

今TVドラマ放送されている。小林が心が弱った親友神田に放ったセリフ、”ふくまるに心の荷物を持ってもらっているんだぞ”が心に刺さった。

大学時代

親元を離れ、幼馴染と決別すると自然友人を探し始めた。下宿先で隣の部屋にいた同級生(幼馴染との件で助言をくれた人)とサッカー観戦の趣味が同じで一緒に行動を共にするようになった同級生に出会うことが出来た。この二人が心の友だ。一人は先回りして接してくれる優しいお姉さん。彼女とは夜ディスコに繰り出し遊びまくった。もう一人とは考えていることやそれを言葉に出すタイミングが驚くくらい一致した。趣味のサッカー観戦に毎週一緒に行っていた。とても楽しい時間だった。それが今は両方とも連絡が密ではない。一人は介護や財産整理に時間を割いているし、もう一人は東北震災で家を失い、離婚し、癌を患い、うつ病と闘っている。昔の様に何も考えなくて済む状態じゃない。色々タイミングを考えて連絡を取っている。大切な友だ。

探し人

中学の時旅行?で一か月生活を共にした友だちを探している。その人はアメリカ人と国際結婚してアメリカに住んでいると思う。だいぶ前に葉書きが実家に来た。すぐに返事しなきゃと思いながらも子育てに没頭して忘れていた。なんて奴だ。そのうち東北震災があって前述の友人を探した。やっと見つかってほっとしていた。暫くして国際結婚した彼女の実家は気仙沼市と気付いた。それも漁を取りまとめる仕事をしている。どうやったら見つけられるだろう。緊急事態宣言が全国で解除されたら行ってみようか。

気付いてからは彼女はアメリカにいると信じ生活した。でも最近自分の人生の行く先が見えてきて、行動しようと思った。昨年手紙を書いて出した。でも返事がない。今他の方法を考えている。

彼女とは一か月同じ棟で生活を共にした。その後も手紙のやり取りをした。大学の時はハワイで一緒に遊んだ。就職してからも度々東京で会った。

その時々の悩みを聞いたし、何も考えず話せた。学生の時の友人は貴重な存在だ。

ママ友

ママ友は難しい。子どものことを第一に考えての行動をとらなきゃならない。色々トラブルにも巻き込まれた。年賀状以外では二人しかコンタクトを取っていない。

その中で二番目に長く続いているのは今日連絡くれた人だ。ママ友は群れることが多い。子どものためにと思っている人もいる。でもそれだけでは収まらない人もいる。マウントを取りたい人が結構多いのをその世界に足を踏み入れて初めて知った。

そんな中彼女は運動会見学、合唱発表会も自身と同様一人で来ていた。だからか自然と話すようになった。

でも少し残念なことが分かった。子どもがそれぞれの夢を具体的に考えるようになった頃、コンサートに誘ったことがある。でも前日突然彼女の親せきが亡くなり行けなくなったと連絡があった。仕方ないと思いながら一人で行った。(行って良かった。最高に楽しかった。娘と来ていた右隣のお母さんとと少し話した。左隣の高校生風の男子二人の様子がとても可愛かった)でもその後の彼女の対応が自身とはまるで違った。それが今の彼女との距離を生んでいる。

彼女の分まで席料を払っていたから複雑な気分だ。自身なら自分の席の料金を払うし、そうじゃなかったとしてもその半分くらいのものを何かの形で返す。

数か月後の何もなかったかの様なお茶会。驚いたけれど、人それぞれと思うようになった。それにうまく自分がわだかまりの無いよう表現したらよかったのだとも思う。言葉選びは大切にしつつも伝え合うことが大切だ。自分は少しは成長しただろうか。

互いに深い話はしない。時々”あの人”、”この人”で話が始まり終わる。具体的な名前を出さずに話をするから結局話がよく分からないまま終わることもある。これ意味あるかなとフラストレーション溜まる時もあるが相手がすっきりするのを見るとそこに意味を見出してみたりして自分の中で”昇華”する。不思議な関係だ。でもそれを重ねていくことが将来何か意味を持ってくるものなのかもしれない。

繋がり

きっかけはお互い上の子の幼稚園繋がりでママ友になった人。美しい人で、華やかな人だからご縁ないかなと思っていたら意気投合した。今もLINEで交流しているママ友で一番長くお付き合いしている人だ。互いの近況、子どもの近況、親の介護等話している。彼女は宗教を持っているので時々勧誘に合う。

宗教に関して少し前まで積極的に勧誘されたが自身もそれに委ねる気持ちになれず断っている。もしかしたら勧誘するためにLINEでやり取りしてるのかなと思う時もあったけれど、それだけじゃないと思えた理由がある。

幼少時代に受けた心の傷を宗教絡めず打ち明けてくれたから。それに自身も癒された。同じような経験をしていたから驚いた。ママ友でこんなに深く話をしたのは彼女一人。大切な友人のひとり。

出会い

人が違えば考えも違う。結婚してから自身は世間知らずだと思うことが多く色んな人や出来事に立ち止まり苦しみ、悩んできた。それを経験したのは”糧”にすることなんだと思えるようになってきた。

ピアニスト、神田先生のように優しい笑顔を自然に浮かべられる人になりたい。