5月17日土曜日髭男のライヴに行った。初参加だ。

数年前彼らの楽曲”Pretender””宿命””I LOVE…”は何度も聴いていた。その歌詞に勇気づけられたし励まされた。温かい気持ちにもなった。それでもライヴ席争奪戦に参加する程熱いファンではなかった。今回熱烈ファンに誘われたのだ。

”予習”

ライヴを楽しむために新しい曲を何度か聴いた。

映画”東京リベンジャーズ”が好きでその主題歌を彼らが歌ってはいたのは知っていた。でもそのメロディーラインに今一つ心が乗らなかったのを覚えている。

新曲”Same blue”は好きになった。現時点では何度も聴くほどではないけれど学生だった頃を思い出させてくれた。甘酸っぱさを感じた。

付け焼き刃ですべての楽曲を頭に入れるのは難しかった。もっと前から予習しておけば良かった。

道のり

長居競技場へ近づくにつれ電車内にはライヴ参加者が多くなってきた。若い人に交じって自身と同じ年代や更に上の方がいた。それが人数的に少なくなく二割ほどなのには驚いた。Nissyのライヴではほとんどが若い女子だったから新鮮だった。

ファンの年齢層が広いというのは強みだ。席が完売されていないと当日ネットで知った時は意外だった。にわかファンなのに何故か心配してしまっていた。

駅と長居公園は直結している。暫く歩くと芝生が広がっていた。そこに所狭しと多くの人が座っていた。会場入り前にくつろいでいるのかなぁと思っていたが開演直前にその芝生を目にすることが偶然あったのだが大分人数は減ったものの6割程座っていた。音漏れを楽しもうとする人たちがいるのだ。事情はそれぞれあるのだろうがいずれにしても彼らの音楽が大好きな人たちが多いことに改めて感動した。

席はアリーナの後方で立ってもステージまでは遠く彼らは米粒大程だろうけどそれすら人の波で確認できなかった。モニターでしか見れなかった。これではスタンドの方が良かったと思った。スタンドなら米粒大でも動きは自分の目で見れたはずだ。どの会場もアリーナ後方がなだらかに傾斜しているよう工夫して欲しいと思った。

会場に16時前に入ったがガラガラだった。これが埋まるのかと心配するくらいだったが直前は人で埋まっていた。少なくとも周りは空席はなかった。空気が薄くなるんじゃないかと心配になる程密接していた。

前の席には70代と思われる女性が二人いて彼女たちはまるっきり前を観ることが出来なかったはずだ。でも楽しんでいた。ほとんど立ちっぱなしだった。凄い!!!

三つ前の席の男性は席の幅のサイズが合わず常に舞台に垂直に(横を向いて)顔を左に向けてステージを観ていた。

感動したこと

会場を温める為ヴォーカルがアリーナ席とスタンド席に交互に声掛けをする。”準備はいいかぁ””盛り上がろうぜ””楽しもうぜ”等。その度にファンは声を上げるのだがその迫力に驚いた。

スタンド席のファンの声が太くて物凄い重低音で響いた。大音量で当然ながらサラウンドだ。身体に振動が伝わってきた。学生時代行ったディスコで低音が身体に響いた感覚に近い。地鳴りのような感じだ。熱くなった。

男性ファンが多いようだ。勿論若い女性も目に付いたが、キャーキャーという黄色い声より太い声が多いようだ。Nissyのファン層との違いを楽しんだ。年齢層が厚く同性に好まれるバンドは息が長いと思う。

祭り

好きな楽曲が全部入っていたから自身も満足した。

最初の曲”Same blue”はトイレに行っていたから曲の後半しか席で楽しめなかったのは残念だった(もっと早くトイレに行けばよかった。仮設トイレはあったがそれ以上に人が溢れていて40分前に並び始めても無理だった)。

後半は”祭りだ!!まだまだ上げてくぞ!!!”との声とともに段々とヴォルテージが上がっていった。その中でも気に入ったのは”FIRE GROUND”だ。調べたら大分前の楽曲だ。滅茶苦茶気に入った。今一番のお気に入りだ。

モニターに力士が相撲を取っている絵が出てきたり、炎が上がったり盛り上がった。立ちっぱなしで腕も音に合わせて揺らしていたから疲れてはいたけれど楽しかった。皆で盛り上がるのは本当に楽しい。ライヴに行くのは一体感を味わえるからなのだ。

アンコールは”I LOVE…”からだった。嬉しかった。三曲程聴いた。ヴォーカルの藤原聡氏のトークにも感動した。支えていたファンに感謝の言葉でいっぱいだった。

同じエリア

ある程度覚悟はしていたが帰宅はやはりスムーズではなかった。

長居駅まで歩いて5分のところ40分弱程かかったと思う。駅内規制が暫く掛かっているとスタッフから声掛けがあった。五月中旬だが蒸し暑く、人が密集していることもあって息苦しく感じた。救いは扇子を持って行ったことだ(携帯扇風機を持っていくことも考えたが重たく止めた)。

電車に乗れた時にはぐったりだった。途中まで座れたからよかった(乗った電車の終点が自身の駅までは行かなかった。次の電車を待っても良かったのだがそれを待つ余裕がなかった。人ごみから少しでも早く離れたかった)。

最終バスの一本前に乗ることが出来た。そのバスに小学中学年位の男の子とその母親と思われる親子が少し後から乗ってきた。彼らが数時間前には同じ空間で楽しんでいたことが身に着けていたもので分かった。降車したバス停も同じだった。

近くにファンが住んでいると認識できて不思議とこのにわかファンにも一体感が生まれていることに気付いた。我ながら感動した。また行きたくなった。