読む本を探すべくメルカリで悩んでいた時10年以上前に読んだ「くちぶえ番長」を読んで感動したことが頭をよぎり自然重松清氏の名前で探していた。

メルカリポイントが数時間で消えるというタイミングで選んだから他に選択肢を選ぶゆとりなく、気付いたら「とんび」を選んでいた。おおよそのストーリーは把握していたなぁとポチっとしてからそれこそ頭に浮かんできて少し後悔した(;’∀’)

以下ネタバレ注意

昭和

TVがやっとカラーになった昭和中期から物語は始まる。”あ、まだ生まれてない”と少しホッとするという謎の安堵感があった( *´艸`)

主人公ヤスさんは純粋で単純明快だが一方、不器用でへそ曲がりで頑固だ。随分前の自分ならしょうがない人だなぁと受け入れていた部分が多かったと思うが、大分意識変化したのか今はイライラし通しだった。

例えば…望んでも子どもを授かることが出来ない幼馴染の照雲に良かれと思ってヤスさんが息子アキラを貸すぞと言葉を放った。ほとんどの人はシチュエーションにもよるがそれを無神経な一言と認識しその類の言葉を出さないよう気に留めているはずなのだ。相手が幼い時から兄弟のように育ち、一番の理解者の一人だったとしてもだ。照雲もその時ばかりは憤っていた。

パートナーの美佐子さんがトラックの貨物の落下からアキラをかばって亡くなったが、アキラが小学校卒業手前で亡くなった理由をヤスさんの周囲に聞きまくる。父親から聞くのは難しいと判断したためだ。周りから聞くより父親から聞いた方が筋だしアキラの為になると事情を伝えるのを幼馴染はじめ職場の人も口を慎んだ。そこが好きだ。周囲の環境が抜群に良い。それに比べ逃げ腰の父ヤスさんにイライラした。

更にイライラしたのは美佐子さんが亡くなった理由をアキラではなく自分(ヤスさん)をかばったせいだとしたことだ。確かにその年齢は多感な時期だし言葉を慎重に選ぶ必要がある。欲を言えば最初に息子から尋ねられた時に(多感な時期ではなく)正確に伝えた方が良かった(自分を”悪者”にして相手を慮る形は好きじゃない。誰かを”下げる”ことで片方を”上げる”構造がヘドが出るほど嫌いだ。拒否反応半端ない。自身の経験から生まれた感情だということに自覚がある。祖母や両親が美徳として強いてきたことだ)。本当のことを打ち明けた時最初はショックを受けるだろうが母に救われた命大切にしようとアキラは思うに違いないだろうに。アキラを信用していないように思えた。最後”アキラは本当のこと気付いているように思うけど”というたえ子さん(ヤスさんの幼馴染)の言葉にイライラは半減した。先に読み進める気持ちになった。

結局は周囲の人の良し悪しに左右されるではないかと突っ込みたくなった。たまたまヤスさんの環境が素晴らしかったから良かったのだ。悪意がある人がいるとこんな感動は生まない。逆に言えばヤスさんがその環境を引き寄せたともいえるが実際は一人も悪意を持った人がいないということは現実世界にはないと思う。

子離れ

最近は多様性の尊重が当たり前の時代だ。年頃といって結婚を強要したり、人生のパートナーとして性を問うことはしない。

この物語の背景には隣近所の”おせっかい”が常にある。ヤスさんの子育ては父親一人だけではなく幼馴染の照雲とそのパートナーとその父海雲、たえ子さん、他にもヤスさんの会社関係者等大勢がアキラを育てる様子が読み進めると分かる。美佐子さんの不慮の事故は不幸なことだが、それ以外アキラが育った環境は最高なのではないかと思えてくる。

時々父が息子に対する想いが度を越しているのではないかと思えなくもない文章も感じることがあった。それはアキラがパートナーに選んだ由美さんを紹介したいと伝えたであろう時のヤスさんの気持ちの描写だった。あまり好きになれなかった。

”覚悟をしていた”とはどういう意味なのだろう。ヤスさんのアキラに対する思い入れが凄すぎて気持ちが付いていかなくなった。人はここでも感動するものなのだろうか。自身にアレルギーがあるのだろうと自覚している。

ウルウル

トイレ本だったのが後半に入るとどこでも持ち歩くようになった。前の土曜日には電車の中で読んでいた。

それは思わずやってきた。涙がまつ毛を濡らし、鼻水も出てきた💦頬を伝わないように別な事を考えた。上を向くとそれが分かってしまうから困った。ヤスさんみたいだと思った(≧◇≦)

ヤスさんの定年退職後どこに住むかとアキラと由美さんと話し合っているシーンだ。ヤスさんは由美さんの連れ子健介を自分の初孫と表現する。アキラの遺伝子を持った子どもが由美さんのお腹にいる時ヤスさんは提案する。お腹の子はアキラが、健介は自分が溺愛すると二人に告げる。子どもに寂しい思いをさせないという信念に満ちたヤスさんの温かみが一番に伝わってきた場面だった。泣けた。

大切なもの

中盤に何故か気になり映画キャストを検索してしまった。キャストのイメージが自分のそれと合わず閉口した。何故検索してしまったのだろう。後悔した。

ヤスさんは自分の中で阿部寛氏のような大柄で顔が濃いイメージじゃなかった。背は高くなく細マッチョ、気弱でアマノジャク、隅に追い込まれると引っ搔いてくるような、それでいて人懐こいところもあるそんなイメージだ。俳優を頭に浮かべようと頑張ったが該当する人はいなかった。

本を読む間は絶対映画キャストを検索しないことを固く誓った。自分の中に浮かぶイメージは一番大切なものだ。

この本を読んだ後、自分は親子愛にはそれほどではなく、それを超えた愛情、子どもに向ける無償の愛に自分は感動するのだと改めて自覚した。

作者の意図とは少し違うのだろうが、熱くさせられた本の一つとなった。