祖父の話。
集まり
小さいころからよく親せきが実家に集まった。父方の従弟(全員男子)は三人。内二人は車で一時間ほどの距離に住んでいたからたまに泊まることはあったが日帰りのときもあった。具体的には覚えてないがしょっちゅう来るって感じだった。
身の置き場
従弟たちだけでなく、男子と遊ぶと単純に楽しかった。体を動かすし、多少乱暴になっても受け入れてくれる。誰と誰が遊んだ。何で?という問いがない。気が楽だった。けれど…
その集まりは同じメンバーでご飯も一緒。そのうち違うものを排除しようという自然の摂理が働くようになる。主張しても通らない。合わせるしかなくなった。でも合わせても限界があって結局一人になる。身の置き場が安定せず、居心地の悪さを感じていた。それが常だった。
おじいちゃん
夕飯が終わって落ち着いたとき時々だが、祖父が”8ミリを皆で観よう会”を催してくれた。子どもたちが赤ちゃんの時から撮り溜めたものだ。
ボロボロアパート前で三輪車に跨った自身。人形を抱っこして作り笑いしてる写真。海水浴場で砂が水着に入って気持ち悪さマックスな顔。スキー場のロッジの前で整列せいと言われ太陽の光のまぶしさを我慢して歪んだ顔。
毎回同じものを観ることになるのだが、観る度に心が温まったことを思い出す。
祖父は自然と圧縮された自身の心を解凍してくれる存在だった。多くは語らない。行動でそっと包んでくれた。