コロナウィルスが世界中に蔓延して数年経つ。落ち着くのは何年後だろう。

昨年末息子が帰省して4日後(大晦日)発熱した。真っ先に疑ったのはやはりコロナ。早速抗原検査キットを買いに走った。17時を過ぎていたから最寄りの薬局コーナーは閉じていて購入できなかった。近くにいた店員から売っている店舗を教えてもらった。一旦家に帰り自転車から車に乗り換えてナビに薬局の住所をインプットして向かった。 

検査結果

無事購入し検査をしてもらった。大晦日をにぎやかに過ごしたかったから急がせた。結果は陰性。PCR検査とは違い正確性に少し問題を持つけれど取敢えずホッとした。

本人は至って元気そうだ。熱は38℃弱だった。彼は疲れていても熱を出す人だから。昨日までは食欲もあった(只今は少し落ちている。熱は37.3。少し心配。様子を見ようと思う)。

潔癖

大晦日の19時過ぎ

用心深い娘は抗原検査結果を信じられず不機嫌に。すぐ帰るとか言ってきた。”折角お寿司を頼んだのに”とそう言ったら、”なら持って帰る”と。彼女の部屋の状態とは反対でそこは潔癖ともいえる対応を彼女はする。その前日、彼女は弟の世話になったのにとても恩があるとは一ミクロンも感じさせない対応だった。悲しくなった。

28日夜中までお店で娘が友だちと深酒をして酩酊状態になり携帯、財布代わりのポーチ(以前高価な財布を深酒して落としたことがあるから持って行かないようにきつく注意した経緯がある)、自分の部屋の鍵を落として29日早朝家に飛び込んできた。自身は仕事で家を空けなければならず大人なのだから何とかするだろうと出勤した。おろおろしている娘に弟(息子)が自分の携帯とiPadを駆使して情報を集め、大事な自分のiPhoneを貸した。弟からお金も借りて娘は電車に乗り、初めて行く交番に自分の携帯を取りに行った(鍵は紛失したまま)。

その弟の身体を心配するよりも先に汚いものに触れるようなものの言い方に静かに憤慨した。容赦ない言い方に怒った。

抗原検査陰性と結果は出たとしても疑いが晴れたわけではないと考える娘にマスクしてお寿司食べるくらいなら大丈夫だよというと物凄く険しい顔をして嫌だと拒否してきた。そもそも息子は自室で食べたのだ。部屋は喚起していたし実家で食事中も物を口に運ぶ以外は常にマスクを話さない娘が濃厚接触者になりえなかった。自分の身体だから選択肢は自分で決めるのに異論を持つわけじゃない。言い方が問題だ。

理由

昨年春一度コロナにかかり、二度とかかりたくない苦しさを味わったことは理解できる。会社に申請することの煩わしさやその後の厳しいチェック等あったらしい。もしかしたら会社の徹底した対応がそう言わせたのかもしれない。疎外感が自身の職場とは比べ物にならない程あると過去彼女との会話で感じた(過去の行動を報告しなければならないと言っていた。保健所ならともかく会社にそこまでする必要があるとは思わない)。

色んな考え方があるとは思うけれど、そこで娘に話したことは

”社会の基礎単位は家族だと考えている。その家族の一人が大変なことになっているのにその言い方はおかしい。身体を守る行動は正しいけれどもう少し思いやる気持ちを持ってほしい。自分がそういう対応をして欲しいか”と振った。

彼女は涙を流した。

長女とは思えない程自分を出し好きなように行動することを羨ましいと感じることか多い。自分とは全く違う”長女”だ。親の前で涙を流す素直さも好きだ。

そこを大切にしてさらに受け入れ対応する能力を身に着けて欲しいと感じた。

気付き

ぶつかり合いも時には必要なことだと感じる。

大人になった娘に昔より少し遠慮しながら少々のことは見守ることを徹底していた。機嫌をうかがうこともあったと思う。でもどうしてもそこは違うと思うことを今回表現出来て良かった。彼女の涙に触れてその清らかさ、素直さの大切さを再確認できた。それが自分にも必要なのだとも気付けた。

今年彼女は大きな決断をするかもしれない。結婚は安易に決められないことだけれど勢いも大切だ。実はそれがきっかけで更に人として大きくなりそうな気がしている。期待しすぎかもしれないけれど(笑)